聞く心

ますます激動を予感させる正月です。新聞によれば<大阪維新の会>が中央政治も動かさんばかりの勢いだと伝えられ、次なる衆議院選挙には公明党と手を組むと朝日新聞は伝えています。政治の動向についてどうなっていくのかは、個人個人で見解は異なるでしょう。でもその名称について私はやはりひっかかります。この名前は1990年代にスタートした政策提言グループ<平成維新の会>からとったことは明らかです。<平成維新>という単語から、すぐに思いつく言葉は<昭和維新>です。

<昭和維新>は1932年の5.15事件、1936年の2.26事件を引き起こした軍部の青年将校たちのいわば合言葉でした。5.15事件では当時の犬養毅首相が射殺され、2.26事件では数日間東京の首都機能が制圧され、何人もの閣僚・要人が殺害され、日本はこの出来事をきっかけにいよいよ戦争にのめりこんでいきました。ちなみに聖書学関係の著作や難民援助に献身的に労されている犬養道子さんは、当時、犬養首相の幼い娘で青年将校たちが首相官邸に踏み込み、その暗殺を目撃したと聞いています。

さらにわたしの記憶では<維新>という言葉をかつての韓国の軍事独裁時代の朴正煕大統領が戒厳令の名目に使ったことがあります。この方はかつて日本の陸軍士官学校を卒業されたとかで、やはり昭和維新という軍人中心主義に惹かれていたのかもしれません。5.15事件において首相官邸を襲った海軍将校に犬養首相は話せば分かると語りかけ、応接間に通しいすに座って話していたところを後発の攻撃部隊がなだれ込んで、「問答無用」と怒鳴りながらピストルを発射したといわれています。昭和維新を掲げる青年将校も、一人の人間で、事件を起こすに至る数々の動機・理由があったに違いありません。ですから先発部隊の指揮者は応接間で首相と話し合っていたのです。もしかしたら、そこから昭和史が違ったものになったかもしれません。

けれど「問答無用」ですべてが潰(つい)えてしまいました。<聞く耳持たず=聞かない>とは、繋(つな)がり、関係、きずなを絶ってしまうことであり、5.15事件では、首相を殺すことそのものでした。人がなぜ問答無用になるかといえば、一般的には現状に対する不平不満やみずからの願望や欲求がかなえられない現実、あまりに多忙な課題や仕事が人間的な心やゆとりを塞(ふさ)いでしまうのです。とはいえ昭和維新を目指して決起した青年将校たちの姿は、なにかの現実に思い詰め、心閉ざす私たち自身の姿と重なります。彼らには数多くの部下と重火器による武装があったのでいっそう不幸な結果をもたらしてしまいました。

旧約聖書にも、新約聖書のイエスの言葉にも「聞きなさい」と言う言葉が繰り返し語られます。まず、神の前に出て、聞くことから出直すことです。聞くことによって新しいことが始まるのです。人は考え方や行動について築き上げた一定のこだわりがあります。それがその人らしさを作り上げています。しかしこだわりがあまりに強ければ、それは独善的な生き方でしかなくなるでしょう。<聴く>という行為は、一方的な独善性から人を解き放つのです。聞くことは、人に新たな視点を与え、解決不可能のように思えた問題に光を与えます。維新的な<問答無用>から、聞く心が育つ年でありたいと願っているのですが・・・。

(2012年01月15日 週報より)

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