おごらず、臆することなく

使徒言行録4章5-31節

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この箇所は、ペトロとヨハネによる神殿におけるペンテコステ説教の結果、民衆による雪崩のような悔い改めがおこったのです。その数の大きさに驚いた神殿警察と祭司たちは、ペトロとヨハネを逮捕し、牢屋に収監したのです。「二人の語った説教で神を信じた人々は男だけでも5000人にもおよんだ」という信じられない出来事がおこったのです。ほかに女性や年若い人達もいたでしょう。です、から実際にはもっと多かった。

この事件の発端は3章4節で、<うつくしの門>で物乞いをしていた人を癒したこと。一旦はユダヤ教の指導者に、キリスト教共同体はトドメを刺されたかのように見えましたが、キリストの復活・そして聖霊の降臨を経て、ここまで変貌していました。あまりの変わり方に驚いて、大祭司、神殿警察が繰り出て、ペトロとヨハネを逮捕し投獄したのです。以前のペトロとヨハネであるなら、ここで沈黙したでしょう。しかし大祭司アンナスとカイアファ、その他大祭司一族の前で堂々と弁明するのです。この人々こそ、主イエスを十字架につけるために告発した人々でした。ペトロは言いました。

そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。「民の議員、また長者の方々、今日わたしたちが取調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレ人、イエス・キリストの名によるものです・・・」

8-10節

議員や他の者達は、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であることも分かった。しかし、足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては、ひと言も言い返せなかった。

13,14節

この二人のあまりの大肥さぶりに周りが驚かされた様子が述べられます。本日の聖書箇所では<大胆>という言葉が繰り返されるのです。
1)ペトロとヨハネが説教をしたところ逮捕され、一晩留置場に拘留され、翌日弁明が求められました。そこで二人はやむなく主イエスの復活を語ります。ペトロは堂々たる信仰の勧めをします。(10-12節)
2)二人を驚して二度と大群衆の前で話をしてはならないと命じたところ、「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか考えてください。わたしたちは、みたことや聞いたことを話さないではいられないのです。」(19,20節)とこれまた堂々とした言葉を引き出してしまうのです。結局、ペトロ、ヨハネを釈放せざるを得なかったのです。

こうした驚くべき力にあふれた大胆さは、宣教の場においての大肥さでした。ときにわたしたちも信仰を振り絞るように祈り心を持って神さまの意に添いたい。姿勢を正して膝まづくことがあります。自分自身の利益や、権力確保のためでないだけに、いっそう大胞になれるという道があったのだと思います。

ペトロとヨハネは、釈放され、仲間のところに戻ってきました。使徒言行録では使徒は<使徒>と表現されてありますが、弟子達全体では<仲間(Idious family)>(23節)などとも訳されます。特別な存在ではなく、イコールに向き合う家族のような教会なのです。もっとも、この段階で既にこのファミリーは大変な規模になっていたと思います。その教会に向かって、今後は権力側がいっそう厳しい弾圧を教会に加えてくることが予想されます。現に5章の後半は大祭司とその下にいるサドカイ派の人々が、第一幕の敗北を恨んで逆襲に出て、ペトロをはじめとする複数の使徒たちが再び捕縛されるのです。それは当然の予想できる成り行きでした。
そうした状況の中で教会がしたことは祈りでした。そして心から求めたことは<大胆に御言葉を語りうる>ことでした。

なにか問題に直面するときに、問題の解決を急ぐことは当然ですが、しかしそこでこそ、イエスが主であるコトを深く受け止めなおすこと、大腿に主イエスへの信仰に立つことが、問題解決への一番の道であることを受け止めるべきです。問題を解決したら「祈りが出来る」「信仰のコトを考える」というのではないのです。大胆に信仰に生きる。一歩踏み込んで信仰に生きる。今週はこうして歩んで見ましょう。

2023年6月18日 礼拝メッセージより

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