分かち合う幸せ

ルカ福音書9章10-17節

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5千人に食べ物を与える

小見出しに<5千人に食べ物を与える>とあります。14節に「男が5千人いた」と書いてあります。しかし主イエスは女性に同情的でしたから、男性を上回る女性がいたかもしれない。当然、子供も赤ん坊もいたかもしれません。でも数えたのは成人男子だけでした。それは今の感覚では女性差別につながりかねませんが、基本的に戸主・世帯主という意味で男の数を数えての計算だったようです。
この文章は「使徒たちは帰ってきて」という書き出しです。9章の冒頭にあるように、弟子たちは宣教に遣わされていたのです。主イエスは弟子たちを訓練しなければならなかったでしょう。確かに、伝道をするということは場数を踏むことも大切です。
弟子たちが帰ってきて、主イエスに連れられて、秘かにベトサイダという町に退いたのです。ベトサイダはガリラヤ湖の北、ヨルダン川が流れ込む東の部分にある小さな町です。西側はカファルナウムです。

5千人を養ったという出来事は、ベトサイダの郊外で起こった事として描かれています。エルサレムとか、ベツレヘム、ナザレ、ヘブロンという町は今でも存在しています。いずれもパレスチナ自治区の街です。ところがこのベトサイダは当時あまりにも小さな村で、今では何処だったかさえ分かりません。せいぜい数十人から百人、2百人ほどがかたまって住んでいる辺境の町だったようです。弟子たちが「まわりの村や里に行って、宿をとり、食べ物を見つけるでしょう」と言っていますが、これほどの人々が分散して宿を取れる状況には全くなかったのです。

主イエスはベトサイダに<退かれた>(10節)と書いてあります。前の口語訳には<ひそかに>と言う言葉が加えられています。秘かに退くということには、当然の理由がなければならないでしょう。例えば敵の存在が予想されるときです。このころになると主イエスの働きは、その国の政治家、指導者には快く思われなくなっていたのです。主イエスはよい弟子たちを得て華々しい成功を収めているように感じ取られます。しかし、主イエスの働きが民衆の心を捉えれば捉えるほど、政治的な圧力、指導者の敵意を掻き立てずにはすまなかったのです。主イエスは自分自身の身の置き所を考えなければならなかった。ベツサイダは国境の街でもありました。それは世界中のどこでも、いつの時代でも同じことが起こります。

聖書巻末の聖書地図を見るとカファルナウムはガリラヤですが、ベトサイダはトラコンという区域です。実は支配者が別でした。ルカ3:1にこうした記述があります。「皇帝ティベリウスの治世の第15年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、・・・」
すぐ東はガリラヤですが、ベトサイダは国境の向こう側にあり、その実態はローマ支配の村です。ユダヤの政治権力は名前だけで、ここには及ばないのです。そも、元来ここを支配し力を振るっていたのはローマ皇帝カリギュラです。皇帝カリギュラはネロよりも凶悪なローマ皇帝と評される人で、この地をカリギュラがヘロデアグリッパ一世に与えたものといわれます。そしてこの時、ベトサイダは二人の領主に分断されていたのです。対岸のガリラヤと共に半分を支配していたのは、ヘロデアンティパスという人です。そして残りの半分を統治していたのがヘロデ・フィリッポス。二人ともヘロデ大王の息子ですが大変仲が悪かった。なぜ仲が悪かったかというと、フィリポは元々ヘロデヤという女性と結婚していましたが、ヘロデアンティパスがヘロデヤを横取りしたのです。このヘロディヤの娘がサロメという娘です。洗礼者ヨハネはこの結婚を非難して命を落としたのです。そのくらいアンティパスとフィリポは憎みあっていた。主イエスはこの二人の仲たがいを利用してベトサイダに秘かに逃げ込んだのでした。5千人の給食を実現したイエス・キリストも、現実には多くの困難、迫害にどう立ち向かうのか、悩みに悩んだことでしょう。だからでしょうか、主イエスは逆に民衆の支持を受けた。でもそれが新たな問題でもありました。

5千人(実質は1万)に対して、かろうじて持っていたのは5つのパンと魚二匹。それは絶対的な不可能でした。でもそうした現実は人生において、時に起こることです。<これで私の人生は終わり。>どう見ても不可能な現実というものがあります。
岡山で孤児院を開いた石井十次という人の伝記が図書室にあります。石井十次は、キリスト者としてジョージ・ミュラーの生き方に感銘し1900年頃、岡山孤児院を作り、すでに1,200人ほどの親のない子供たちを受け入れていました。1923年9月1日の関東大震災の後、5,600人の子供を収容しました。途方もない人数です。何度も子供に食べさせるものがなくなる。石井十次は隣のお寺の庭を祈り場にして、必死に祈ったそうです。十次は毎日のようにそこで祈り、祈ったところは草が生えず、そこだけ穴があいたように凹みができていたのだそうです。祈ると、その度に不思議と米が届く、肉が届く。そうした出来事が起こって危機を越えていったのだそうです。今の社会事業は何年も先の経営を見込んで、緻密な計画の下に実践されるでしょう。しかし石井十次の事業は、明日にでもダメになってもおかしくない社会事業でした。全国の駅に献金箱を置いてもらった。倉敷の財閥である大原総一郎という有力な協力者が後援することになり、事業が安定するのです。ただそこに至るまで石井十次の生き方は祈りだけだったそうです。彼は不可能なことを行っている事を知っていました。できるはずがないことをやっていた。できるはずがないけれど、これができるのは神だけであるという信仰がありました。全く無茶苦茶です。しかし、その苦闘を見ている中で、人の心が動きます。大原総一郎の心を動かしたのは、そのひたすらな、必死な生き方でした。

「私たちにはパン5つと魚2匹しかありません」と弟子たちは言いました。しかし主イエスはパンが5つもあり、魚2匹があるではないかと言われます。弟子たちにとって、パンが5つと魚2匹は何もないのと同じです。わたしたちはここから一歩も進めませんと言います。そうした重い気分に陥ることは私たちにもあります。絶望しか見えないのです。病気に直面します。仕事のこう着状態の中で、周囲の人々の批判や非難にさらされます。家庭生活の中で「今まで自分が努力してきたことはなんだったんだろう」と思うような出来事に直面します。弟子たちはそうした状況にあります。

わたしたちはなぜ主イエスを信じるのでしょう。わたしたちを生かしているのはパンではないし、魚でもない。私たちが直面する壁を乗り越えさせるのはわたしたちの幸運ではないし、私たちの財産でもない。壁にぶつかっているわたしを生かし、明日を待ち望ませてくれるのは主イエスと出会うことなのです。
「人々は食べて満腹した」とあります。そこにはハラが満ち足りる以上に、心が満足したのです。沸き起こる喜びがあった。主イエスによって心満ちる経験があったのです。

トルストイの短編小説に「靴屋のマルチン」があります。妻にも子供にも先立たれた靴屋のマルチンが「オレのように不幸な経験をしたものは世の中にいない。」と言って不平不満を人々にぶつけるのです。ある人が、見るに見かねて聖書を渡します。そしてその晩彼は、イエスの夢を見て、「明日お前のところにわたしは訪ねる。」と聞くのです。
翌日、キリストのおいでを心待ちしていたマルチンのところにはキリストはおいでにならなかった。来たのは疲れきった雪かきの老人、泣きじゃくる子供に手を焼いていた貧しい母親、そして空腹に耐えかねてリンゴを盗んだ少年。マルチンはリンゴ代を支払ってあげます。一日が終わり、寝る前にマルチンは主イエスに祈ります。
「今日もあなたは私のところにおいでになりませんでした。」
主イエスは言われます。
「はっきり言っておく、私の兄弟であるこの最も小さなものにしたのは、私にしてくれたことなのである。」

非常に殺伐とした私たちの世界で、しばしば行き詰まり、だれも助けてくれないと悲鳴をあげる状況の中で、様々に出合う人々がいます。その人々と命の交わりがあり、そこに主イエスがおいでになっているのです。神さまは「わたしが神さまです」という姿ではマルチンの前に現れなかったということです。歓迎したい大事なお客さんとしては現れず、本当ならあまり関わりたくないような人としてやって来たと言うことです。もちろんマルチンが関わった人々は、どうでもいい押し売りや何かの勧誘ではありません。寒い日に、困っていたり助けの手を必要としていた人たちです。その人たちを助けるのはマルチンではなくても良かったのかもしれない。が、誰かが手を差し伸べて、温かいお茶や食事を与えてくれたりしたら、とても助かる人たちだったのです。マルチンは、寒い中で助けを必要としていた人たちが神さまの姿だとは気づきませんでした。それが大事な人だとはわからないまま、たまたま自分に出来るもてなしをしたということなのでしょう。

<人の心には物事はそんな単純ではない。信仰を持てば人生は問題がなくなり、幸福になれる。>
本当か?
反問されます。たしかにキリスト教信仰は幸福追求の手段ではないと思います。むしろ問題を抱え込むかもしれない。例えば石井十次のように。
信仰に生きることは、その幸福を分かち合うことです。5千人の給食の記事で、ヨハネ6章だけが、その5つのパンと2匹の魚は、少年の持っていたお弁当だったらしいことが言われます。魚はたぶんメザシのような安い魚だったでしょう。でもそれを彼は差し出した。少年のことは書いていなくても、どの福音書でも<5つのパンと2匹の魚>がいわれています。それはそれはささやかな食事です。しかし、そのささやかなお弁当を、誰かのために主イエスの手に渡せば、それは計算を超えた祝福につながるのです。そのことで人は主イエスの命にいっそう与るのです。いったん主イエスの手に委ねられると、ありえない祝福に彩られるのです。社会を見ればあちこちが行き詰まり、破綻があります。ひとつには富の甚だしい独占があると思います。しかし解決はまだある、欲望で生きる世界ではなく、主イエスの御手により頼む生き方です。そのとき、人の予想を超えた分かち合いの社会が実現するのです。

2023年2月19日 礼拝メッセージより

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