カテゴリー: 週報の裏面

十字架を前にして

マルコ福音書14章は次のように書き始められます。 さて、過ぎ越し祭と除酵祭の二日前になった。祭司長たちや律法学者たちは、なんとか計略を用いてイエスを捕えて殺そうと考えていた。彼らは「民衆が騒ぎ出すといけないから、祭りの間はやめておこう」といっていた。 マル...

人の心が神に変えられてこそ

聖書の冒頭に、アダムとエバ、長男カインとその弟アベルという、人間の最初の家族の物語がしるされます。そしてカインとアベルは争いあい、兄は弟を殺した。そこに人間とは争いあい、殺しあう存在だとほのめかされているようです。先週あるニュースが伝えられました。厚労省に...

天国を激しく襲う者

「天の国は力づくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。」 マタイ11:12 聖書の言葉、イエスキリストの言葉には時折理解不能に感じる言葉があります。上記の言葉もその一つに思えます。この言葉をある人々は、天国というものは、力づくでも自分の...

許しと再生

私がごく幼いころNHKラジオで<モンテンルパの声>とかいう放送が時折流れていました。モンテンルパはフィリピンのマニラにあった戦犯収容所の名前でした。1945年2月に旧日本軍が支配していたフィリピンを奪い返すために戻ってきたアメリカ軍との間に熾烈な戦闘が開始...

この時

先週20日(水)未明に、広島市で予想を超える土石流が発生し、死者42名、行方不明者43名と伝えられています。ホーリネス教会も、被災者が多く出た広島市安佐南区にありますが、被災はまぬかれたと報告が入りました。災害が起こった後ではどんなことも言えるでしょう。し...

ヨナ書の心

旧約聖書といえばユダヤ教の聖典でありユダヤ教的国家主義だけが強調されていると思い込みがちですが、必ずしもそれにとどまらない書が旧約聖書には含まれています。その代表的なものがルツ記と今回こどもお泊り会で扱っているヨナ書です。ルツ記では主人公になるルツと夫のボ...

天に唾を吐いた人びとの末裔(まつえい)として

主に在りて忠信なる兄弟たちよ。我らは未だ面識の機会なく、互に伝統と生活の習慣とを異にしてゐるが、かかる諸々の相違にかかはらず我らを一つに結ぶ鞏固(きょうこ)なる紐帯が二つあると思ふ。其の一つは、我らの共同の敵に対する共同の戦ひといふ運命的課題である。彼ら敵...

悩み多い日々の中で

最近つくづくと思うのは、人はそれぞれに生の苦しみや痛みを持っているということです。使徒パウロはただならぬ深い信仰経験を重ねた人ですが、その一つが<第三の天にまで引き上げられた>経験でした。パウロはそれをパラダイス『楽園の』の経験と言い変えています。楽園とは...

もちあげられたり、貶(おとし)められたり

旧約聖書の律法の書の最後の文章は次のように書かれています。 イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった。主が顔と顔を合わせて彼を選び出されたのは、彼をエジプトの国に遣わして、ファラオとその家臣および全土に対してあらゆるしるしと奇蹟を行わせるため...

最近心にかかったこと

最近の新聞、テレビの報道には、心痛むものがあまりにも多いと思います。今迄も度度報じられてきている、幼い子供達の命が失われている、しかも保護者である父母の手によって、葬られてしまっている。それらのニュースに接して、だんだんと気持が麻痺してゆくのではないかとい...