ヨナ書の心

旧約聖書といえばユダヤ教の聖典でありユダヤ教的国家主義だけが強調されていると思い込みがちですが、必ずしもそれにとどまらない書が旧約聖書には含まれています。その代表的なものがルツ記と今回こどもお泊り会で扱っているヨナ書です。ルツ記では主人公になるルツと夫のボアズから生まれた子孫の一人がイスラエル最大の王ダビデが登場することが言われます。そもルツは異邦人モアブ人の出身です。モアブ人の祖は、アブラハムの甥であるロトとその姉娘との間に生まれたのがモアブだと創世記19章にしるされています。いかにイスラエル人がモアブ人に激しい嫌悪感を抱いていたかを物語る話ですが、実はそのモアブ人出身のルツの後裔がダビデ王であったとルツ記は言います。
一方で外国人との結婚を禁止するようになったユダヤの律法主義に抵抗し、確かに申命記10:18には「神は・・・孤児と寡婦の権利を守り寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。」と述べられている。律法の本来の精神は公正と真実広い他者への愛がいつの間にか忘れられ、ユダヤの狭い選民主義と排他主義に傾いてゆくことへの抵抗が書かれます。

ヨナ書も同様な精神が主張されます。じつはヨナという預言者がいたわけではなく、言ってみれば作者不詳の文学作品です。舞台はアッシリヤのニネベ。アッシリヤはすでにBC521年に滅亡したのです。書かれた時代はBC400年からBC300年といわれます。この時代は、バビロニヤ捕囚から帰還し、ユダヤ民族主義が次第に高まってゆく時代と考えられます。その時代にヨナ書が書かれたところに意味があります。
ヨナはまさにユダヤ愛国主義者として登場します。神はアッシリヤのニネベが悪と不法で罪を重ねてゆくなか、預言者ヨナなる人物をニネベにしかし送って悔い改めさせようとするのです。預言者ヨナなる人物は少しも預言者らしからぬ人で、ニネベに行くふりをして、正反対のタルシシ―今のスペインに行く船に乗ってしまうのです。イスラエルからスペインとは地中海の端から端までを意味します。スペインのジブラルタル海峡から船出し始めたのは大航海時代以降です。16世紀まで大西洋に船出したのは唯一フェニキア人くらいでしょう。ヨナは地の果てにまで神の支配の及ばないところまで逃げてやろうと画策したのです。そんな預言者がいていいはずはありません。やがて船は大嵐に遭遇します。それがどうやらヨナ自身の預言者としての使命放棄に帰因していることが船の搭乗者全員に知られ、ヨナは海に放り出されます。そこに不思議に大きな魚が到来し、ヨナを丸呑みにして三日三晩、魚の腹の中でヨナは悔い改め、ニネベに到着します。

ヨナは神が示した言葉「あと40日すればニネベは滅びる。」を壊れかけたテープレコーダーのように繰り返します。彼は使命を自覚して語ったのであって、仕方なしに語っただけなのだと思います。ところがヨナが語ったメッセージによって、予想もしなかった驚くべきことが起こるのです。つまりニネベの人々が悔い改めてしまうのです。選民であるはずのイスラエルの民が神の言葉から遠く離れ、むしろ神の愛より閉ざされた民族者主義に前のめりになり、預言者であるはずのヨナ自身が神の言葉に半信半疑である現実の中で、あのアッシリヤが神の愛に突き動かされて悔い改めるという物語です。イスラエル社会全体がますます国家主義化、保守化するなかで、堂々とこうした物語を立ち上げる心に拍手喝さいを覚えます。

(2014年08月17日 週報より)

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