愛に尽きるところ
由木教会の活動が始まった頃、宣教師の協力を仰いで英会話クラスを持っていました。当時はまだまだドル高で、宣教師の数がとても多く、協力していただくことが出来たからです。地域と何のコンタクトもなかったわたしたちには大きな助けでした。特に想いでふかいのは、夏の間、アメリカ人の大学生を短期宣教師として迎えて、英会話クラスを持っていただくプログラムをかなり続けたことでした。これを行っていたのがリチャード・アモス宣教師夫妻というかたで、昔からの浅からぬ知り合いでもあり、毎年アメリカ人、カナダ人の青年達を迎えるのが楽しみでした。
まだインターネットなどなかったときですから、来日したアメリカ人学生の方々にとっては、相当の違和感があったはずです。でも、宣教師の方々は、由木教会には本当に良い青年達を送ってくださったことです。その頃教会にはクーラーもなかったし、20歳前後の若者達ですから、ホームシックにかかるケースは当然でした。他の教会のことでしたが、ワーカーとしてきた女子大生が、日本の若者と親しくなってしまって、奉仕どころではなくなってしまった、ということも起こりました。主催者側としては頭痛の問題だったでしょうが、今思えば、人と人の交流の中で当然の出来事だったかもしれません。
しかし、このプログラムで、わたしは本当の頭痛の種を経験させられたのです。宣教師の主体、東洋宣教会<ORIENTAL MISSIONARY SOCIETY-オリエンタル・ミショナリー・ソサエティー>は本部がアメリカ・インディアナ州にある宣教団体です。最近はどうか分かりませんが、当時、アジア系、アフリカ系の宣教師は誰ひとりいませんでした。そうした人種的背景、傾向を持つ団体なのかとおもっていたのです。無論この宣教師の中でマーティン・ルーサー・キング牧師の本を読んでいる人は多くなかったと思います。でもそれはそれでのみこんで、お付き合いが出来ればそれですんでいたのです。彼らも献身的な宣教師の方々ですから。
毎年20人から30人ほどの大学生を迎えて、6月のはじめに奥多摩のキャンプ場で、日本の文化、習慣、日本の教会でどう奉仕をするかなどの講習会があります。わたしもまだ3-4歳の長女を連れて、参加していました。大学生達は様々な教会から応募してきますから、ここにはアジア系の人、アフリカ系の人が加わってきました。特に日系の青年は祖父母が日本から来たことで、いちど自分自身のルーツを知ろうとして来た若者がしばしばでした。そして10日ほどのいちおうのトレーニングをへて、彼らはひと夏の奉仕のために、それぞれの教会に行くことになります。由木教会にも、そうして本当にすぐれた、心優しい青年達が毎年来てくれました。一人ひとりを深い敬意を持って思い起こすことができます。
ところが、毎年問題になったのが、日系の青年達が、内示を受けた日本教会で断られることでした。せっかく来てもらうのだから、白人の学生が良いということでした。
講壇から語られる聖書と実際はこんなにかけ離れてよいのかと覚えさせられたことです。旧約聖書の預言者たちは選民であるはずのイスラエルの人々の、道徳的、倫理的退廃を厳しく批判しました。それはイスラエルの神からの離反・神礼拝の姿勢の崩壊そのものでした。伝道のために、教会の充実のためにと行っている活動に、あからさまなエゴイズムが醜悪に見えてきたような思いがしたものです。またこれは希望にあふれて日本にやってきた青年達をも傷つけたことだろうとおもいました。
教会はすべての人が、心から迎えられ、人間としていつくしまれるところ。これはα(アルファ)でありω(オメガ)です。はじめであり、終わりです。
(2010年06月06日 週報より)