「3匹の子豚」が教えてくれること

誰でも知っている童話がある。いつ頃の誰の作品だろうか、イソップでもアンデルセンでもないような気がする。3匹の子豚の兄弟が、それぞれ異なった素材で家を建てるという他愛もない話しである。
「一匹は藁(わら)で、もう一匹は木で、最後の一匹は煉瓦(レンガ)で家を建てることにしました。ところが悪い狼(おおかみ)が来て、藁の家に火をつけて燃やしてしまいました。木の家は、吹き飛ばされてしまいました。家をなくした2匹は、煉瓦の家に逃げ込みましたが、そこは火をつけても燃えず、風が吹いても飛ばされず、丈夫で安全でした・・・」

何の印象もなくほとんど忘却の彼方にあったが、この話しに実は大きな意味が隠されているということを、つい最近知った。この童話は、恐らく近代という時代が始まるころ、西欧文化圏のどこかで考案されたものと思われる。この童話の根っこには、藁で作られた家あるいは木で作られた家は、壊れやすい「遅れている建物」、煉瓦で作られた家は、丈夫で頑丈「進んでいる建物」というはっきりした構図・信念が存在している。それは、西欧文化圏が異質な非西欧文化圏を見聞したうえで構築された見方でもある。

近代という時代が始まり、ヨーロッパはアジア・アフリカそして新大陸へと乗り出していった。そこで彼らが見出したのは、自らの生活・習慣・宗教とは全く異なるものであった。彼らは、こうした「野蛮で遅れた」人々を教えて、自分たちのように「文明的で進んだ」生活を与えてやらなければならないと考えた。そして幼い子供たちに対しても、自分たちの価値観に沿ったお話を語りかけていった。「ある所に3匹の子豚がいました。一匹は藁で、もう一匹は木で・・・」

地球上の様々な土地には、それぞれの個性・特性がある。地形・標高・土壌・植物・気候・日照時間・季節性などなど。私たちは、こうした土地の自然環境や生態系に応じた自分たちの文化を育んできた。その土地に根ざした生活・衣服・食べ物・住居などである。こうした地域性を考慮せずに、全世界に同じようなものを押し付けることを「グローバリズム」またの名を「マクドナルド化」という。夏には亜熱帯気候になる東アジアで、ネクタイを締めてスーツを片手に汗をかいているサラリーマン。世界有数の地震発生地帯に、ガラスの高層ビルを建てて得意になっている人々。煉瓦とコンクリートとガラスと新建材で作られた建物を崇拝し、藁と木と紙と土の家に住んだ祖先たちを見下している。何とかヒルズが目指すべき到達点であるかのように持てはやされる異常な世界が異常であるとすら思うことがない雰囲気の異常さ。汚染されているのは空気や水や土だけでなく、私たちの価値観も近代主義という名前のイデオロギーに汚染されている。

北の国々に住む人々は、南の国々が遅れていて北の国々に追いつくべきであるという自分たちの考えを、疑いもしない。しかし、限りある地球の許容量・資源を考えたとき、見習うべきは北の国々、私たちの生活・考え方そのものではないだろうか。

京都議定書で締結されたように北の国々が南の国々から買い求めるのは、CO2の排出権だけではなく、その生活の在り方・価値観全体を見直さなければならないのではないのか。

狼は、ヨーロッパでは悪者の代名詞となっているが、日本でもそうなのか。

「ある時、地面の下で大ナマズがひと暴れしました。しっかり作った藁と木の家は、傾いただけでした。しかし、ガラスと煉瓦の家は・・・」

五十嵐 彰 (2006年02月05日 週報より)

おすすめ