クリスチャンとは
わたしたちはクリスチャンです。ところでこの当たり前のように使っているクリスチャン(キリスト者)という言葉は聖書の使徒言行録11章26節で始めて登場する言葉で、2000年前のシリヤのアンティオキア教会の信徒たちを侮蔑的に呼んだことに発する言葉のようです。
元来、キリスト教はユダヤ人の宗教として出発したものの、ユダヤのエルサレムにあった本部教会は律法主義的、異邦人差別体質傾向のため、当時のギリシャ・ローマ社会への伝道活動に踏み込んでゆけず、やがてユダヤ社会とともにエルサレム崩壊によって姿を消していったのです。エルサレムに代わって世界伝道への活動の中心を担ったのはアンティオキアの教会でした。アンティオキアはローマ、アレクサンドリアに次ぐローマ帝国屈指の大都市であり同時に道徳的には退廃した大都市でした。
クリスチャン(キリスト者)とは教会外の人々による軽蔑をこめた言葉だったと言われます。教会内ではお互いに「兄弟」とか「聖徒」と呼び合っていたようです。クリスチャン(キリスト者)といういい方は<キリスト狂い>という意味を込めた一種の侮蔑語でしたから、1世紀には教会では使われなかったようです。ところが2世紀に入りローマ帝国による教会への迫害が厳しさを増します。キリスト者は否が応でも自分が<キリストに属するもの>(クリスチャン)かそうでない者なのかを問われたのです。信仰者たちはイエスの弟子として、十字架についたキリストと同じ歩みを喜んで受け入れる人々と、信仰を捨ててしまう人々とに二分されたのです。そうした時代にアンティオキアの人々はそう呼ばれることに誇りを持ち、すすんでキリストの十字架の苦しみに与っていったのでした。
アンティオキア教会の中心的信徒の一人はバルナバなる人物でした。彼こそサウロと呼ばれた、のちの日のパウロのためにアンティオキア教会への導き手となった人でした。
2023年5月21日 礼拝メッセージより