韓国教会を訪ねて

27日から、30日まで韓国の大田(テジョン)市にある韓国聖潔教会大田教会に行き熱い歓迎をうけて数日を過ごしてきました。今回、小泉首相の靖国参拝や日本の歴史教科書問題をきっかけに、日韓をめぐる政治状況の悪化が伝えられ、出発前には、こちらの感情を逆なでする言葉や出来事に遭遇する(かも)という思いもありましたが、まったく予測違いでした。不思議なことに、エレベーターでも、町中でも、話しかけてくる人は最初から日本語か、あるいは英語。私たちが日本人であることがなぜか分かっているようでした。出会った韓国人の方々は、教会でも、町でも、とても親切で、丁寧でした。見た目に、韓国の町で不思議だったのは、些細で、つまらないことかもしれませんが、日本と比べて犬とネコが極端に少ないというより、いなかったこと。道路のガードレールが町にないことです・・・・。

さて太田(テジョン)ホーリネス教会ですが、一つの同じ教団に所属していても、教会のあり方、雰囲気はそれぞれずいぶん違うものです。ですから先週由木教会で説教をしてくださったソウル神学大学のパク教授の雰囲気と大田(テジョン)教会の雰囲気とは全く別物でした。大田(テジョン)教会は5年前に許牧師を迎えて、はずみがついたように教勢が上向きに礼拝が1000人ほどに向かっている教会なのだそうです。私のような耳が遠くなりかけている人間でさえ、圧力に感じられるほどの強い音量の音楽で導く一方で、カリスマ的な異言を語ることが勧められており、毎朝5時からの(!)早天祈祷会では異言による祈りがこだましており、4時半に起きて駆け付ける祈祷会も眠気を感じる暇はありませんでした。

教勢が千人近くになり、教会が拡大していくと、どうしても牧師がエラそうにふるまうことがしばしばあります。けれどここの許牧師は大変柔和で、三人いる副牧師たちはじつにさわやかに、のびのびと、集会を導いており、教会員の一人一人も、とても大切にされているように感じました。その点こそ、教会が大きくても、小さくても、教会らしさを生み出す大切な一点だと思いました。今回の私たちの訪問に許牧師はカンボジア宣教をキャンセルしてまで我々と共に行動し、食事を振るまい、ホテルの費用を負担し、博物館や、韓国サウナにまで同行し、文字どおり裸の付き合いをしてくれました。それは単なる儀礼の限度を超えたホスピタルティでした。

日本はかつての植民地時代、強制連行やいわゆる慰安婦問題、日本語と、日本名を強要しありとあらゆる残虐なことを韓国国民に実施したことでした。さらには神社を建立して参拝を強要し、従わない多くの信仰者は殉教死させられました。そして、いまだに被害者たちが謝罪と補償を求めています。いくら小泉首相が<未来指向>と問題をすり替えようとしてもできない相談でしょう。問題はなお過去になっておらず、身に負った悪夢のような記憶がフラッシュバックしてもむりからぬところです。そしてなお目に見えること、見えにくいところで、差別意識が潜んでいます。にも拘らず大半の韓国人たちはすでに未来指向で日本人との関係をつくりあげようと努力しているのだと感じたのです。
韓国の方々の暖かい受容の根底に、あらためてキリストの赦しを生きようとするあつい信仰の心を感じました。そうであれば我々日本人はますます過去の問題をふまえつつ、事実の直視とアジアの人々の心の痛みを少しでも理解しながら、共に手をたずさえることに真剣でなければと感じました。

(2005年07月03日 週報より)

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