宗教者の心は温かい

親しい友人で、とても若いというわけではないが、今年按手礼(正牧師)になる手続きを受けて、埼玉県にある教会で、生き生きと牧会伝道を続けている牧師がいます。彼の労する教会は、彼が赴任するまえ、ほとんど集まる人もないほどだったのです。ところが彼の信仰の思いは神に届いて、この数年で来会者は8名を超えるようになってきたのです。若いころから、教会は政治にかかわってはならないと教えられ、律儀にそれを守ってきた。ところが同じ教区にいるので、なんとはなしに私との付き合いもはじまり、最近では私よりずっと熱心にデモに参加したり、フェイスブックに意見を述べています。

彼は左耳が不自由です。でも右の耳は問題なかった。それゆえ、その不自由さを受け入れることも出来ていたのです。ところが按手礼試験に合格したころから、問題のないはずの右耳にひどく雑音が入るようになったのです。それを知って我々夫婦も心を痛め、彼のために祈るようになっていたのです。彼自身も、周囲も、不調の原因は、残る口頭試問へのストレスからくるもので、ほどなく治っていくだろうと受け止めていたのです。ところがいつまでたっても状態が好転しないので、彼は埼玉医大に入院して本格検査を決心しました。そこでひとつのことがわかりました。

実は彼の耳は、右も左も、生まれつき変形があり、むしろ右耳が通常に聞こえているのが不思議だった…という酷な結果でした。ともかく今直面している雑音が取り去られ、一日も早く元の聴力が戻ることを祈っているのです。けれどいくら信仰の人とはいえ、この現実は受け入れがたい苦しみでした。コトと次第によっては彼は全聾になるやもしれず、彼は深く悩むこととなった。

実は数年前、宗教者平和協議会なるものにかかわりができ、時折、仏教、神道、牧師、神父がつどい、宗教者として命と平和の問題に思いをはせ、祈りを合わせる集いがおこなわれ、わたしも彼も集うことがあります。その中の一人の仏教の僧侶の方が、性能の良い補聴器はかなり高価で、小さな教会の牧師がそれを負担することは困難であると知り、宗教者平和協議会の仲間たちに、奉加帳をもってまわり、募金活動を始めたのです。先週も小さな勉強会がありました。僧侶のTさんは「ポケットマネーで結構ですから、いくらでも・・・」と奉加帳を示しました。私は同じ教団で、同じ教区の牧師でありながら、他人に呼びかけることをしてこなかった。しかしその慈愛深い僧侶の方は多くの方々に呼びかけてくださったようです。私が名前を書いた部分は奉加帳がもう終わらんとするところでした。中には2万円、3万円と捧げている人々も多くいたようです。

一人の牧師のために他宗教の宮司や僧侶や神父が気持ちよく協力してくださる姿に私は目を見張った。次に会うとき、彼はどんな補聴器を身に着けているだろうか。彼は補聴器の助けで今より数段よく聞こえているだろう。でも宗教者の祈りが込められた補聴器は、いっそう彼の心を明るく照らすに違いない。

(2015年06月28日 週報より)

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