必要なことはただひとつ
この文章のタイトルをお読みになると、どなたも「ああ、あのことだ」とお思いになるでしょう。そうです。ルカの福音書10章42節にある主イエス様の語られたみことばです。イエス様をもてなすことに気をとられて、手伝わない妹マリアに対する不満を口にしたマルタに対して、イエス様は、「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。 マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」と言われたのです。
私は若い頃、深く悩んでいたことがありました。何故か理由が見当らないのに、他人に対して優越感を持ってしまう心の動きでした。そのような心の動きは私をひどく苦しめましたが、自分ではどうすることもできないのでした。そのことについて神様に祈ったかどうか、忘れてしまいましたが、大人になって人並みに苦労らしきものを経験し、大勢の人々に出会い、交流し、共感していくことによって、根拠のない優越感はいつかなくなっていきました。
ところが、最近由木教会の礼拝に加わるようになって、私は自分の聖書の読み方が実に浅いことに気づかされました。マルタとマリアの物語についても、「イエス様は歴史上、最初のフェミニストだわ」などと喜んでいたのですから。実際この挿話には、当時の男性と女性の生き方への社会の規範といったものも感じますが、今また読んでみると、そのような意味のイエス様のみことばではないことが理解されると思うのです。
それは神様にとって男性も女性も平等な存在だということでした。創世記にある「助ける者」としての女性の創造は、男性優位の根拠にはならないのです。神様にとっては男性も女性も同じ価値を持つ存在であり、もっと言えば、男性は女性によって「助けられる」存在なのですから。
神様を信じること、イエス様によるみ救いを信じること、それが神様が私達に求めておられる「ただひとつのこと」だとイエス様はおっしゃっておられるのではないでしょうか。
今、素直にこのみことばを心に受け容れる者でありたいと思います。
伊地智 恵子 (2023年10月22日 週報の裏面より)