<感謝祭>その後

先週、日本では23日が<勤労感謝の日>アメリカでは22日<感謝祭-サンクス・ギビング>が祝われました。日本の休日はかつての新嘗祭-宮中行事が起源であるし、アメリカの感謝祭はアメリカの教会が深く関わっています。こちらのほうを今回はわずかですが注目したいと思います。
発端はピルグリム・ファーザーズと呼ばれるピューリタンのグループです。英国王ヘンリー8世の離婚問題が発端に、国教会が発足したのが1534年のことでした。けれどより聖書的で信仰的な純粋性を求める一群の人々は、英国にとどまることをよしとせずにオランダに移り住み、やがて、1620年9月、120トンのメイフラワー号に乗り、101名がイギリスのプリマスを出発して、2ヵ月後現在のボストンの南ケープ・コッドにひとまず到着し、12月21日にプリマスに上陸したのです。そこは現在ではボストンのわずか南。厳寒の地でした。101名のうちピューリタンは35名そのほかは前科者を含む雑多な人といわれています。その冬の寒さの中で半数がなくなったのです。しかし翌年春の到来と共に農耕の経験のないピューリタン達にインディアンたちは種を与え、農耕を教え、その年の秋には豊かなピューリタンたちは豊かな実りを手にし、祝宴には多くのインディアンが5頭の鹿や野生の七面鳥を手にして3日間祝宴を開いた。農耕の経験のない白人にインディアンたちはとうもろこし、ジャガイモ、かぼちゃの栽培を教え、魚の取り方をさらに余った魚や海草を肥料にすることも教えた。この美談が感謝祭の起源として語り継がれています。

この美談はプリマスだけにとどまりません。イギリス最初の植民地ヴァージニア州ジェームスタウンこそ最初に成功した植民地でした。1607年に最初に105名のイギリス人が送り込まれ、翌年には500名にも及んだのです。しかしやはり寒さと食料不足のため1609年に60名にまで減り、人々はねずみ、蛇、馬の生皮、はては人肉まで食べて飢えをしのいだ。
彼らを救ったのはやはりインディアンたちによる手厚い歓待と食糧援助だった。インディアン社会では、土地は部族全体の所有であり、農地も共同所有、農耕も共同所有。「土地は水と空(空気)と同じもの」と考えていた。
ディズニー映画で<ポカホンタス>というアニメがあります。私はこれを見ていませんが、ポカホンタスは実在のインディアン女性です。彼女は白人ジョン・ウルフと結婚し、彼はインディアンからタバコの栽培を学ぶ。タバコは当時インディアンの嗜好物だった。やがて喫煙が白人社会の中で定着することを見て、ジョン・ウルフはヴァージニア・タバコの大々的な栽培に乗り出す。タバコは連作を嫌う植物とかで、広大な土地が必要になり、インディアンからの大々的な土地収奪が始まる。プリマスで植民地経営に乗り出した人々は数千エーカー(千エーカーは120万坪)を所有しアメリカは白人による土地つかみ取りの場所と化していったのです。ヴァージニアタバコは今ではフィリップ・モリス商標として世界中で売られるに至っています。そしてそのあとは打ち続くインディアンへの虐殺と収奪。

弱り果てた植民者に物惜しみしない暖かいもてなしを忘れないインディアンに、恩をあだで返して200年。インディアンは生きることすらままならぬ細々と痩せた土地―居留地があてがわれて今を迎えています。その間繰り返された白人による虐殺と暴力。国家が近代化すると言うことは、同様な犯罪的な過程を踏むと言うことなのでしょうか。
先日の朝日新聞の報道によると北海道のアイヌ民族と沖縄の人たちは、遺伝的な特徴が似ていることが、国立遺伝学研究所などの解析でわかった、という記事がありました。暴力、虐殺、収奪を通して根絶やししてゆくあり方は、インディアンとアイヌに共通しているあつかいでした。

それにしてもこの悲惨な事実を美談としての感謝祭に仕立て、ピューリタンの美しい信仰の出発の物語として歴史を構成に伝えていったところに成立したキリスト教国アメリカ。教会が絵に描いたようなこの民族浄化の歴史に痛みを感じられないとすると、そこに成立したキリスト教とは何かと問わざるを得ません。

(藤村茂 著「アメリカインディアン悲史」 朝日選書 2004年刊 参考) 

(2012年11月24日 週報より)

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