73年前の或る出来事

何故かいつまでも心に残っている或るエピソードから。1939年、東京世田谷の野砲第一連隊に入隊したキリスト者が自らの信仰に基づいて、 入隊して一週間後に「キリスト者として聖書の“なんじ殺すなかれ”という教えに従って銃器をお返しします」と申し出て兵役の拒否を表明した。当時の日本では、このような良心的兵役拒否は、まず考えられなかった。大日本帝国軍隊では天皇から与えられた兵器に僅かな傷をつけただけで、死に至る拷問を受けていた状況下である。正に死を覚悟した行動である。
こうした想定外の反軍的行為のあからさまな表明に直面して、実際に畏怖を感じたのは、軍隊の方であった。そのキリスト者はその場で特段の暴行を受けることなく、すぐさま営倉(軍隊内刑務所)に入れられた。ところが、大隊本部に出頭した際に、本部付尉官の一人から「お前のようなやつは、クリスチャンの面汚しだ」と怒鳴りながら殴り掛かられたという。すぐさま周りにいた将校たちが間に入って押し留めたが、殴り掛かった彼はクリスチャンだった。思うに、普段からキリスト者であるということを公言し、それゆえに様々な辛い経験をして、そうした負い目を跳ね返そうと人一倍の努力もして、今ある地位を築いたのであろう。ところが、そうしたところに自らと同じ信仰を持つという者が、こともあろうに兵役拒否を敢行したのである。自らの今後の人生にも関わる一大事と、思わず鬱憤を晴らすための発作的な行為だったのかも知れない。あるいは自分はこのような者とは違うということを仲間にアピールするためのパフォーマンスだったのかも知れない。
それから3年後のホーリネス弾圧事件に対するキリスト教界の反応も似たようなものであった。こうした事件に関連して少なからぬキリスト者が、投獄されて獄中での拷問によって命を奪われている。特に朝鮮半島で。自分がそうした場に居合わせていたら、果たしてどのような対応をしていただろうかと思わざるを得ない。そもそもどのような立場を選択していたのか、と。

獄中で様々な拷問に苦しめられ栄養失調のため衰弱死一歩手前で解放された兵役拒否を貫いたキリスト者は、自分が何か特別のことをしたという意識などまるで無かったという。獄中では「現在の状況は神から与えられた試練」として耐え、解放後は何よりも人間として当然のなすべきことを果たし得たという充溢感に満たされていた。それに対して、戦争中は天皇に拝謁して喜び、全国から献金を募って軍用機を献納した日本のキリスト教界指導部は、敗戦直後に以下のような声明を発表していた。
「聖旨を奉戴し国体護持の一念に徹し、皇国再建の活路を拓くべし。」
「畢意我らの匪躬の誠足らず報国の力乏しきに因りしことを深刻に反省懺悔す。」
皇居前で跪き地面に額をつけている人々の周知の画像を想い起す。

何というコントラストだろう。そして現在の私たちは、いったいどのような状況にいて、どのような立場に立っているだろうか。何がキリストの心なのか。深く思いを巡らさなければならない。

イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に予言したものだ。彼はこう書いている。「この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとして教え、むなしくわたしを崇めている。」

マルコ7:6

五十嵐 彰 (2012年11月11日 週報より)

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