教会のある風景

お許しを戴いて、今回もイタリアで何か所か訪ねてきました。というのも、お会いした人々は長女がお世話になった方々。この人なしには今の長女の立ち位置はなかっただろうと思われる方々ばかりです。お一人は当初、面識もない長女に身元保証人になってくださった女性のAさん。高名な作家のお孫さんです。イタリア人の企業に勤められる夫と結婚しておられます(夫は銀行に勤務する弁護士さんです)。Aさんは文化事業、例えば最近ではイタリアで能の興業を行って成功させたり、日本にクラシック音楽家や団体を紹介しております。夫婦のお二人とも誠実で控えめなキリスト者です。とはいえ夫のJさんはギリシャ語で聖書を読んでいます。これはとても珍しいイタリア人です。イタリアのカトリック信徒はあまり聖書を読まないそうです。だいたい1960年まで(つまり第2バチカン公会議が開かれるまで)イタリアではラテン語訳の聖書しかなかったのです。その後イタリア訳の聖書は出版されました。ですがいまだに聖書を直接繙く人は多くはないようです。ましてやJさんのようにギリシャ語で読む人は極めて少ないことでしょう。
この方との聖書についての論議はとても愉快でした。しかしだからこそ、彼は教会についての多少の批判も口にしていました。つまりイタリアでは憲法で教会税の規定があり、信仰のあるなしにかかわらず、国民は教会税を納める義務があります。結局はカトリック教会に納められますが税金として徴収されるのだそうです(これはとてつもない問題だとお話を聞きながら私も思いました)。 そして従軍神父の方々は、どうやら軍の高級官僚並みの給与が与えられるらしく数千万円の退職金が付与されるそうです。そして何よりも北イタリヤ・ブレシヤ地区で預金額最高の人物はなんと、サッカー選手でも、大企業の社長でも、政治家でもなく、ブレシヤ大司教その人なのだそうです。大司教の事は知りませんでしたが、長年Jさん夫婦を知っているわたしにとって、これが教会のあるべき形とは思えなかったのです。

今回もイタリアの国際空港-マルペンサ空港にほど近いマッジョレ湖畔にある日本人Gさんから、ぜひいらっしゃいと声がかかり、多少、気が重かったのですがGさん宅をお訪ねしました。この方こそ長女が最初に働き始めたレストランにご紹介下さり、ここで彼女は8年間料理人としての第一歩を歩み始めたのです。むろんそこのシェフ一家と深いつながりは長女も私どもも、しっかりつながっています。Gさんはその館の女主人と事実婚です。いいか悪いかは別としてイタリアは今なお貴族社会が続いており、いまなお伯爵とか、侯爵とか呼ばれる人々があちこちにいます。しかしそう呼ばれる以上は、明らかな責任が伴います。つまりその人々は文化事業や教会等にほかの人々ではできない貢献が求められます。たとえば数年前にニューヨーク・フィルが北朝鮮で引っ越し公演をしましたが、その費用・数億円のすべてを負担したのはやはりイタリアの(元)貴族でした。金持ちなら、貴族かと言えば、そうではありません。社会への応分の責任を果たしてこその、はなしです。

マレリーナ・シニョリーニさんこそ、そうした責任をまず教会に果たしておられます。イタリアはアフリカに最も近く、移民問題は本当はヨーロッパで最も深刻なのです。しかしEU離脱などとは決して口にしません。むしろ誠実に海軍やコースト・ガードを派遣して移民を保護しています。

一方は存在をあげて信仰者であるあり方を表します。他方は教会の高位聖職者であることを理由に私腹を肥やす。主イエスはどちらを信仰者としてごらんになるだろう。日本の教会は貧しい。貧しければ教会の姿を保っていると言えるのだろうか。われわれは、あのキリストの御姿を生きているのだろうか。キリストの愛は私たちの間に生きているだろうか。それこそ、問われる。

(2016年07月03日 週報より)

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