復活の証人-マグダラのマリア
主イエスがおいでになった時代、ユダヤは祭司や律法学者による支配が揺るぎないものとして民衆を支配していました。それは事実上、支配階級に莫大な利益をもたらす民衆支配のシステムでもありました。主イエスはその律法からの自由を語り、また真の律法は「敵を愛し、自分を迫害するもののために祈る」律法の根本に回帰することを人々に求めました。律法の根本は十戒の前文にあるように、神による解放と自由がその根本精神なのです。
したがって主イエスの存在は律法による民衆支配を突き崩すものであって、支配階級にとって許しがたい危険思想ととったのです。主イエスが十字架に値する犯罪人だとはだれも(ローマ総督のピラトでさえも)理解できなかったでしょう。しかしユダヤの支配層にあっては、最もむごたらしい十字架刑でイエスとともにその追随者たちをも恐れさせることが必要だと考えたのです。恐怖による恫喝で人々を恐れさせ、イエスによる運動を根絶させねばならないと考えたのです。
キリストの十字架はあまりに残酷です。文字通り弟子たち集団は雲散霧消したのです。ところが十字架に向かってゆくイエスに、どこまでもついてゆき、主イエスを見つめ、見守り続けた一群の人々がいました。それはマグダラのマリアを中心とした女性たちです。彼女たちはどこまでも主イエスについてゆきます。鞭打たれ、ゴルゴタにひかれてゆくドロローサの道にも、十字架に釘づけされる主イエスをもしっかりと見つめ、やがて絶命し、十字架から取り降ろされた主イエスの御遺体を引き取り、埋葬したのもこの人々でした。そして復活した主イエスに最初に出会ったのも、マグダラのマリアその人でした。
主イエス以後の教会をゆだねられたペトロは「イエスという人など知らない」と3度証言しました。そのほかの弟子たちはどこに逃亡したかもわかりませんでした。主イエスの近くに3年身を置いて直接主イエスから教えを受け、ともに食し、学んだ弟子たちは十字架の出来事が始まるまで、自分たちがそこまでの姿をさらすとは全く思っていませんでした。そればかりでなく、彼ら自身が12人の中でだれが一番偉いのかを争っていたのです。
現在の聖書学者はマグダラのマリアこそ第一の弟子であったと考えています。イエスの復活の最初の目撃証人だからです。しかし新約聖書の最古の資料と言われる1コリント15章3節には「ケファ(ペトロをさす)に現れ、その後12人に現れた…次いで500人以上の兄弟に現れ・・・・」と書かれています。不思議なことに、ここには女性の名前はだれ一人書きしるされていないのです。教会の伝承から女性は消されたのです。権威主義、競争主義、権力闘争、性的堕落。もちろんこうしたことに女性は無縁だとは言いません。しかし一方的に女性を排除して、教会が権力を握った時代、教会は大きな過ちを歴史に刻んでしまった。さらに、マグダラのマリアは罪の女の象徴という立場まで落とされたのでした。古今の有名画家たちによって多く描かれたマグダラのマリアの肖像画には胸をあらわにした、あたかも彼女の前歴が娼婦であるかのような、意図的な主張が込められています。改められなければならないのは、そうした教会の姿ではないかという思いが浮かび上がってきます。
(2015年04月05日 週報より)