モーツアルトの五月の歌

今日は5月の最終主日です。今年は妙に雨の多い5月でした。場所によっては日照時間が例年の半分というところがあったそうです。このほんの短い時期、五月晴れに、生まれたばかりのような若葉が萌え出る光景は、さわやかです。ドイツ歌曲のなかで五月、あるいは春を歌った名曲がいくつもあります。なかでもシューベルトの<白鳥の歌>の3曲目。「春の憧れ」と、シューマンのあまりにも有名な「美しき五月」、そしてモーツアルトのはずむような「春への憧れ」はあまりにも美しい歌です。シューマンの歌は、繊細な青春の愛を、息をのむような美しさで歌った歌ですし、モーツアルトの「春への憧れ」<Komm,lieber Mai>は、だれの心にもある春への輝く喜びが、透き通るような単純さのなかに歌われているような思いがします。

じつは先回の聖歌隊の練習のときのことです。三上先生が、このモーツアルトの「春への憧れは」モーツアルトが亡くなった1791年の作曲なのだといわれました。何か胸をつかれるような思いがしました。私はその晩さっそく、説教の準備もありましたが、モーツアルトの年表を見てみました。並外れた音楽の才能にあふれたモーツアルトは、並外れて、愛情に繊細な人だったらしい。人に愛されること、人を愛することに敏感で、幼いころから初対面の人に、「おじさん、僕のこと好き?」としばしば尋ねたという逸話が伝えられています。しかし彼は4人の子を亡くしています。1783年、結婚の翌年、長男が生まれすぐに死んでしまいます。1786年三男が生まれ、この子もすぐに死にます。1787年長女が生まれ、翌年死にます。1789年、次女が生まれすぐに死ぬ。結局6人も子供が生まれて、次男と四男しか残らなかった。愛情深いモーツアルトにとっては、どれほどの嘆きだっただろうと思います。

たしかにまだ時は18世紀。すぐ南のフランスでは革命が勃発するほど、人々の生活は窮迫していた。王族でもなければ、子供が無事生まれることも、育つことも大変だったかもしれません。しかし、こうして次々に生まれた子供たちが亡くなっていくことに耐えなければならなかったのは、どれほどの心の重荷だっただろうかと思います。200年前といっても、人間の感情やこころのあり方などさほど変わるわけではありません。それはこの人の音楽を聞いていながら、深く理解することです。どんなに彼は悲しみ、心に痛みを覚えたことだろう。しかし彼の最後の年につくられた「春への憧れ」は、微塵の暗さも無い。深い悲しみを知っているからこそ、感情が昇華されて突き抜けた明るさに転じることができたということなのだろうか。普通の、並みの人間なら、暗さを引きずるのです。ネガティヴな経験、つらさ、悲しさを引きずりながら、前進と転換をはばむのです。
この年、極端な貧しさの中、近づく死を予感するようにモーツアルトはレクイエムを作曲します。それでありながら、この単純そのもの、明るさに徹した歌心。天才は悲しみも、貧しさも、病気さえかかえながら、美しい歌心に生きた。つらさの中で、いくらでも明るく生きることができた。それはもうひとつ、神に赦され、神に愛された存在だからといえることができます。天賦の才能が無くても、神に生きることはそうした生き方を造りあげることができる。キリスト教信仰に生きたからこそ、あのモーツアルトがあった、といえるかもしれない。

(2006年05月28日 週報より)

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