カデシュ・バルネア

「ホレブからセイルの山地を通って、カデシュ・バルネアまでは11日の道のりである。」

(申命記1:2)

モーセにひきいられた奴隷の集団が、40年の長きにわたって荒野をさまよった事実はわたしたちはよく知っています。その発端となった出来事が出発から11日目に到達したカデシュ・バルネアにあったことが聖書に述べられています。人々がカデシュに到達したとき、モーセは約束の地となるべき地区がどのようなところであるのか、克明に調査をするように命じました。
地図をたどるとそれはほぼ全パレスチナといえるほどの広大な地区をふくむ調査範囲でした。しかし遣わされた12人の偵察隊の中で、勇気をもって前進せよと積極的、肯定的に報告をしたのはヨシュアとカレブの二人だけで、残りの10人はそこは恐ろしい巨人達の住む前進不可能な土地と伝えたのでした。それを伝え聞いた人々はエジプト脱出に見た数々の、神の奇跡的なみわざもなかったかのように、将来への不安に押し倒されたのでした。ただ迫りくる不安に不平をつのらせたのです。神への不信と不安を見て取った神は、彼らに40年間の荒れ野の彷徨を与えることにしたのです。つまりその世代の人々が死に絶えたあとで、次世代 の人々によって、約束の地への入国を企てさせようと決断したのです。

ところでカデシュ・バルネアなる地点はどこでしょうか。地図で見る限り、それは死海の南端から、南西に100キロほどのところになります。それは約束の地から驚くほど近接するポイントです。その場所に彼らはシナイ半島を経て11日でたどり着いているのです。途方もない人数の集団だったから、一日20キロほどしか歩けなかったとしても、翌週には確実に、人々は約束の地に到達していたはずの場所だった。
たしかにそんな集団が近くを通過するだけで、食料や水の提供を求められるだけで、地元の人々は不安を覚えるでしょう。拒否感から、いさかいを起こす可能性はあったでしょう。でも、そも奴隷の集団が軍事にたけているわけはないのですから、都市国家の武装兵に太刀打ちできるはずもありません。平和裏に、外交力を巧みに発揮する以外に道は開かなかったでしょう。エジプト脱出に見た神の奇蹟を深く心に留め、神を信じ、明日を信じることが出来ればよかった。

たしかに遠まわりにも意味があるということも可能でしょう・・・。40年あちらこちらをさまよいながら、彼ら自身がみずから、いかに自己中心的で、神の民らしくないことを十分に現す時ではあった。それを自覚できたかどうかは別の問題です。その上、その40年間は、一つの世代の消滅を待つだけのときでもあった。
遭遇するありとあらゆる出来事から学べない人々。歴史と経験から何も学べない人々。・・・それはほかでもないわれわれ自身であることをあらためて見つめさせられます。われわれも人生の途上に様々なカデシュ・バルネアを持ちます。前進か否か。転機か退行か。11日でカデシュに到達させた神の当初の旅程表に、40年の放浪はなかっただろう。人々の不信からの逡巡が、それを神に書き変えさせたのだった。

(2009年03月15日 週報より)

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