春到来
まだまだ寒い日もありますが、桜の開花が伝えられています。以前の由木なら鶯(うぐいす)が朗らかにさえずっていたことを思い起こします。自然は神の恵みにみちています。自然が人を生かし、四季の変化に生きる喜びをどれほど与えられることでしょう。人は永遠に冬の寒さに閉じ込められることはありませんし、夜の闇にいつまでもおかれることはありません。
昨今の社会の様態は、経済を中心に夜の闇のような有様を呈していますし、つらい状況におかれる人々は、ますます多くなるでしょうし、お互いに助け合い、関心を向けあう必要は言うまでもありません。巨大な社会状況や経済のうねりはすべての人々を巻き込んでいきます。政治は左右に揺れ、経済は激しく上下します。
かつて<プラハの春>をもたらしたチェコの民主化闘争が、1968年、当時のソ連の介入で戦車で踏みにじられた事件がありました。自由化要求の2000語宣言に署名した人々、チャスラフスカやザトペックという世界的に有名な人々も、秘密警察の監視のもとで、仕事を奪われゴミ集めや、営林署の職員で細々とやっと食いつなげる最底辺の生活を耐え忍んだと伝えられました。同年に行われたメキシコオリンピックで4つもの金メダルを獲得したチャスラフスカに対しても冷酷なあつかいは軽減されませんでした。無論長い長い獄中生活を忍んだ人々も多くいたことでした。
しかしプラハの春はほんものの春を1989年迎えます。獄中のヴァーツラフ・ハベルが大統領に就任し、つらい日々を耐え抜いたチャスラフスカがハベルの補佐官として活躍しました。
自然も社会も、これを支配し、動かす創造者の御手の中にある事を見失いたくありません。直面する状況は人の心に影響を与えずにはおきませんが、歴史を動かす主の前に生かされていることを覚えることはなおいっそう大切なことです。
<種をまけ> とイエスが語られているように思います。われわれは種をまくことしかできません。しかし種はそれ自身のうちに不思議な秘められた力を持っています。
かつて欧米の国々は<侵略>と<宣教>をもってアジア、アフリカ、中南米に出かけました。それは宣教の歴史に深い悔恨と反省を持って見つめられています。戦前、戦中に日本もアジア各地の占領地に神社を造営したことです。しかし日本の敗戦とともに、アジアの各地に建てた鳥居というという鳥居は、すべて倒されたのでした。しかし、キリスト教は、いまや欧米の宗教というより、アジア、アフリカで大きなうねりとなっています。
不正や圧制が勝利することはありません。だから種をまき続けます。今は困難でも、種の中にははかりしれない力がこめられています。そして時は抗いようもなく新しい季節をもたらします。今桜の開花が告げられています。しかし日本の季節はまだまだ冬です。
キリストはたった一人で、12人の頼りになりそうもない弟子たちを導かれました。世界や日本の教会が、キリストが願ったとおりの教会になったかどうかは知りません。でもそうなっていないとしたら、キリストはわたしたちやそれ以降の人々にまだ夢を見ておられます。きざしはたくさんあります。復活をもたらす神の力がここにあります。
(2009年03月22日 週報より)