イエスと笑い

貧しい人々は、幸いである、
神の国はあなたがたのものである。
今飢えている人々は、幸いである、
あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は、幸いである、
あなたがたは笑うようになる。

ルカ6:20-21

私たちを真に生かすものは、律法ではなく神の招きです。「神の国」への招きは義人と罪人の別を問わず、すべての人に無条件に向けられています。イエスが取税人や罪人たちの仲間となり共に笑ったときは、真に自由で解放された「神の国」の笑いを先取りするものでした。それは「神の国」という未来に希望をつないだ笑いともいえます。
イエスの死と復活の出来事によって、神はイエスをよみがえらせ「神の国」へと抱き上げられました。イエスが取税人や罪人たちを招いて「神の国」でする笑いの約束は、私たちにとって真実な招きと約束として、今もなお生き続けています。たとえ現実が息苦しいものであっても、イエスと共に心から安心して笑うことがゆるされていることは、大きな慰めとなるでしょう。
聖書には「イエスは笑った」という記述はありません。しかし、行間からは、たくさんのユーモアや笑いが溢れています。イエスのユーモアとしては「解放としての笑い」が特徴的といえます。ユーモアは人間を偏見やイデオロギー、ドグマや完全主義から守り、自由に生きることを可能にしてくれます。また、この地上にあっても、この世を超越した視点から、この世の出来事を相対化して客観視することも可能にしてくれます。
もう一つのまなざし、天のまなざしを持つことで、自分と目の前にある状況を見つめ直してみることが大切です。苦しい状況と自分との間に、いくらか距離が生じるとき、そこにユーモアや笑いが生まれる隙間もまた生まれることでしょう。
私たちが、いま生きている閉塞的な社会は、確かに「笑えない」現実が様々あります。笑いといっても、自身や他者を嘲笑する否定的なものが多くあります。しかし「福音」は「喜ばしい知らせ」です。神がイエス・キリストを通して、私たちに救いの喜びを与えてくださいました。喜びには自然と笑いが伴いますので、笑顔を与えてくださったともいえます。
イエスの愛のまなざしは、苦しい現実にもかかわらず、私たちが「神の国」への招きである福音に出会えたことを、心の底から喜び合えることを願っているのではないでしょうか。

<参考文献>
『キリスト教と笑い』 宮田光雄 岩波新書 1992 
『神の国とエゴイズム イエスの笑いと自然観』 大貫隆 教文館 1993

谷岡 昇(2022年9月18日 週報の裏面より)

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