時にかなって、美しく

こんなに9月が待ち遠しい夏もありませんでした。9月になれば、さしもの熱射も僅かながらでも徐々に退いてゆくことでしょう。こうして、この夏も過ぎ行きますが、由木教会の夏の行事はそれぞれ心に残るものでした。平和聖日礼拝、夏の交流会<3・11後を生きる私たち>も充実した時でしたし、子供たちとの<一泊泊まり会>もたくさんのお子さんが参加してくれ、とても楽しいときでした。また個人的には、何年も前に夜中の二時に教会に飛び込んで来て、朝の6時までお話を聞いてあげた方が、すっかり安定して、お連れ合いと一緒にご挨拶に見えたことも、喜ばしいことでした。世の中に起こることは、ますます危機に陥る原発処理とか、ノーベル平和賞を授けられたはずのオバマ大統領によるあらたな軍事行動の動きとかで騒がしいものがあります。

しかし人間社会における混乱は、解決されねばなりませんが、同時に問題が絶え果てたことはありません。旧約聖書の知恵の書である<コヘレトの言葉2:11では>「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。」(口語訳による)とあります。

人は神の御意思の中に、それぞれの生を与えられ、生き、それぞれの人生の歩みを歩んでいます。やがて齢(とし)を重ね、いつかこの生涯を終えてゆきます。人生は若さに輝いて、すべてが順調に推移しているように思えるときがあります。しかし病を得るときもあります。長い歩みの向こうには老いを迎えます。むろん人によっては短い生を終える人もいます。信仰者にとって、人生は暑熱の夏も、寒さきびしい冬も、そこから人生から何かを学び、得る時。時にかなって美しい時です。心いたむ時代や状況を生きるときは、人が順調なときには学べない何かを学び、人として成熟を神からいただくときと言えるかもしれません。

ふつう私たちは順調なときは神を忘れて忙しく立ち回ります。そして失意の時にはやりすぎるほどに宗教的になったりします。カルトが現代人の心の隙間に入り込むときです。しかしキリスト者は、平安なときも、困難なときも神とともに歩みます。神のなさることは、つらい状況においても、喜びのときも、私たちにとって、喜ばしく、惠のときなのです。

思えばこの新しい一日は、誰にとっても未経験な、未知の日です。そして私たちの人生においてもっとも若い日です。明日になれば、私たちは共通して一日分老いるのです。今日、今月、神が私たちを生かし、何らかの神のわざを私たちに託しておられます。人は体調や気分で、気持ちが高揚したり、落ち込んだりしさえします。神が<時にかなって美しい日>として与えてくださったこの日。この時。隣り合う人と神の恵みを分かち合うこの日としたいものです。

(2013年09月01日 週報より)

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