復活から宣教に

思えばキリスト教とは不思議な出発を遂げた集団です。使徒言行録によれば<キリスト教会>を作ろうとして意識的に集って集団をつくろうとしたとは到底思えません。弟子たちにはそんな心のゆとりなどなかった。拠りどころを失って、すでに弟子としての資格すら失ったと思っていた<もと>弟子たちは、ともかく一つのところに集まろうとした。イエスキリストの十字架刑において、弟子たちはぶざまな失態を演じたのでした。しかし主イエスは復活し、その後40日、復活したイエスは弟子たちと共に過ごしたのでした。しかも弟子たちの一人イスカリオテのユダは自ら命を絶って、弟子たちは実質11人となっていました。

その後、この生まれたばかりのキリスト教会を大きく成長させることに力を発揮したのは、キリスト教会を恐怖に陥れていた迫害者サウル。後の日のパウロでした。この人こそ3回の世界伝道旅行を通して、キリスト教をパレスチナの地方宗教から、ローマ帝国のという世界に押し広げるに大きな力を発揮した人でした。

このパウロの言葉に次のものがあります。(1コリント12章1-27節)「体は一つでも、多くの部分からなり、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。つまり、一つの霊によって、私たちはユダヤ人であろうとギリシャ人であろうと、一つの体なのです。奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆その体の一部となるために洗礼を受け、皆一つの霊を飲ませてもらったのです。・・・・だから多くの部分があっても、目が手に向かって、「お前は要らない」とも言えません。それどころか、体の中で他よりも弱く見える部分がかえって必要なのです。…あなた方はキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」

生まれたばかりのキリスト教会で、人々はキリストを信じて、心を一つにしようと集まっていました。たしかに…。ここはユダヤ人もなく、ギリシャ人もない。奴隷と自由人も、神の前におなじだ。男と女でさえも神の前に違いはない。人種も、文化も、性による差別もない。そんな価値観がローマ時代に生まれるとはだれもが信じられなかったでしょう。一時は持ち物さえ共有して原始キリスト教の共産制度が出現するほどの進歩性を発揮したのです。けれど教会はヘブライ語を話すユダヤ人と、ギリシャ語を話すユダヤ人との間に、食糧分配の問題で争いが起こっていました。こころざしは同じでも、肌の色、言葉、習慣、役割分担で、人は分裂する存在なのです。理想を実現すること、一つになろうとすることは誰でも願うことなのです。ついでに言えばその後の教会は白人の教会、黒人の教会。国家の教会。同じ正教会でも、ロシア正教会とクリミヤ正教会は、政治的な問題の渦中で厳しく対立します。

ですからパウロは私たちの前を行きます。私たちはそれぞれ違っていて、それでいい。なかなか一つになろうとしてなれないで、悩んでいる。でも、違っていて当然。違いこそ意味がある。違っているからこそ、逆に他者に貢献できる部分が生まれるといいます。たしかに違っていることはもめごとの原因因子です。だから違いを無視して<和>を造り上げて、他人と同じようにならねばならないのか?..

でもそれでさらに悲惨な結果をもたらしたのが日本の過去の歴史です。パウロが言うのは違っていることこそ、調和を造り上げるという信念です。違っていることこそ必ず調和にたどり着く道なのだ。

現代は行く先々でダメ出しを食います。そんなあり方ではだめだ。もっと社会基準に会わせろ。気が利かない。気配りが足りない・・・けれど、私が足りないからこそ、誰かの出番があるのかもしれない。誰かが足りないからこそ、私の出番も生じる。お互いが足りないからこそ、お互いが必要である。使い捨てでは無く、お互いがかくも必要である存在であることに一層目を留めたいのです。

(2014年06月01日 週報より)

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