ともだち

もう一度今回のイタリア滞在で印象付けられたエピソードを書くことをお許しください。フランスに隣接するピエモンテ州(中心はトリノ―ただし英語ではTurinと表記します)はワインとトリュフとスローフードで知られています。たどり着くのも困難なあちこちの山の上に、ワイナリーとミシュランの星つきのレストランがあちこちにあります。ミシュランの星つきのレストランは東京にもいくつもあるとのことですが、ミラノですら星つきレストランはたった二つしかないとのことですから、ブドウ畑に囲まれた山深いピエモンテで、今回も前回もたまたま立ち寄ったレストランがさりげなく星のマークを掲げているのは驚きです。

娘が住んでいる村の隣村。ネイーヴェはそうした村の一つです。人口はおそらく数百人程度。眠ったような静かな村に、とても立派ですが、やはり眠ったような教会があります。でもこの村は紀元前から存在し、近代ではナポレオン・ヴォナパルトが遠征軍を引き連れて通ったそうです。
その日、午前11時過ぎ、トイレを使わしてもらうために町の中心にあるバールによったのです。イタリアのバールではお菓子や軽食も出されますが、多くの人はエスプレッソを飲みます。ところがその店先で5-6人の60代後半の男達、どう見ても現役を引退した、地元の小、中学校を卒業したかつてのいたずら坊主たちが、楽しそうにワインを飲んでふざけあっているのです。いいなあ、イタリアの老人たちは、仲間もいてこんなに楽しく過ごせるなんてと、われわれ一行のだれもがそう思ったのです。<楽しそうに><仲間がいて>という点は確かにその通りでしたが、じつは彼らはそうそうたる立場の人々でした。
ひとりは村長。もうひとりは副村長。それからこちらに向かっていかにも話をしたいという顔をしていたカイゼル髭のおじさんは、ピエモンテ州で知られたサラミ製造業者のプリモさんでした。副市長という方もたぶんピエモンテワインの紹介、売り込みのため日本には年に三度くらい訪ねるとのことでした。そこでわたしたちは大歓迎を受けたのです。プリモさんのおいしいサラミがお皿にいっぱい乗せられてまず出てきました。間髪を入れず、別の種類がメロンつきで振舞われ、運転しないわたしには甘口のデザートワインが供されたのです。そしてプリモさんから明日ぜひわたしのサラミ工場を訪ねてほしいと招待を受けたのです。喜び勇んで出かけたのは当然です。
それにしてもこのあまりに違う文化の差にわたしは驚くばかりでした。日本であれば、教会に無縁の男性なら、私くらいの年齢になると知り合いといえば会社の人間関係くらいでしょう。それも会社を辞めてしまえば、年賀状のやり取り程度になるでしょう。妻達の人間関係は趣味やスポーツジムや食べ歩き仲間で多彩なのに、男達はずっと孤独です。男性は引退後、妻と旅行をと願っていても、7割の妻は夫とだけは旅行はしたくないと考えているという調査があるそうです。

その点あのイタリア人たちは、友達の声かけがあれば昼休み前でもアプリティーボのワインも共にします。つまり友達がいます。少しいい加減なところがありますが、孤独ではありません。人生の困難さや家族や健康の問題、経済的な苦境などイタリアは日本よりも困難な状況が差し迫っています。
イタリア人は底抜けに明るいという人がいますが、必ずしもわたしにはそうは見えません。イタリアオペラは圧倒的に悲劇的です。トスカもアイーダも舞台上で男女の主人公は全員死亡ですし、大半のオペラは主人公の死で、劇的に終わるのです。ただ現実のイタリア人の日常生活は日本人より家族関係も厚く、親子関係も濃密で、トシをとっても友情を重んじて、また高齢者をとても大切にしているように見えます。

イタリア人の身近な人間関係からは、日本の家族関係はやはり乾ききった感じを受けます。特に引退したわたしくらいの年齢の男性に対する敬意はもう少し改まったほうが良いと思います。むろんすべての人間関係にはプロセスがあるのですから、本人達にも責任はあります。ただ、教会という場は、年齢横断的ですから、高齢者は若者から刺激をもらえますし、若者は高齢者の状況を学べる大切な場所であるといえます。それにしてもあのバールの前でおどけていたおじさんたち楽しそうでした。
おそらく日本とイタリアでは決定的に違うだろうと思えることがあります。自殺者数です。日本はこの10年以上毎年3万人以上の自殺者を出していますが、イタリアは年間3千名少々。イタリアの人口は日本の半分ほど。ですから比率的にイタリアの自殺者は日本の5分の1です。想像したとおりでした。

(2011年07月10日 週報より)

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