土の器

フランスの画家ファン・ゴッホは若いころ伝道師として炭鉱で働いていました。その頃のことです。一人の鉱夫が掘削機械を包んでいた布でシャツを作って身に着けていたのを見ました。そのシャツの背中のところにたまたま『壊れ物につき注意」という文字が書かれていたのです。ゴッホはハッと心を打たれました。こわれもの・・・人間ゴッホ自身も、自分自身が壊れ物であることを深く自覚していました。人間とは、いつ壊れてしまうか全くわからない土の器です。

かつてモーセは、若き日に殺人の罪を犯したことのある一介のただの羊飼いでした。そのモーセは今や80歳になって、人生をほぼ使い果たしてしまったようなモーセを、神は出エジプトの大業に召し出されました。モーセは当然断りました。自分にそんな力が残っているはずのないことは良くわかっていましたから。自分は一時の感情の高まりから人を殺害してしまう人間であることも分かっていました。

けれど神は言われました。『わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。』(出エジプト 3章 12節)

神は自分が❛できる❜と考える人を召さないのです。羊飼いであろうと、国王であろうと、政治家であろうと神の前では無価値で無力な人間にすぎないのです。歴史を動かし、導くのは目に見えない神であり、人間は神の御旨の器なのです。パウロは病身を抱えながら『ユダヤ人から40に一つ足りない鞭を受けたことが5度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが3度、一昼夜、海上を漂ったこともありました。』(2コリント 11章 24節以下)と語りつつ、その生涯の終わりまで伝道の生涯を走り抜きました。

私たちはパウロと比べきれない、ひび割れした土の器にすぎません。けれど主は『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。

だから、キリストの力がわたしの中に宿るように。むしろ喜んで自分の弱さを誇りましょう。

2コリント12:9

牧師 小枝 功(2022年7月17日 週報の裏面より)

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