忘れられない過去
先週朝日新聞では、アメリカの核軍縮担当の国務次官がオバマ大統領に 被爆地を訪問すべく進言したという報道が伝えられました。かつてオバマ大統領はプラハで「核なき世界を」と演説し、ノーベル平和賞が付与されました。それはアメリカの政治家としては画期的な姿勢でしたが、その後もアメリカは核実験を行っており、矛盾した姿勢に失望感もひき起こしました。オバマ大統領が被爆地を訪問し、原爆投下は過ちだったと謝罪ないし、意思表明をすることは大きな意味があります。
そも、一般的アメリカ人は、教室で原爆投下は過ちではなかったと教えられているようです。日本の敗戦を早めた原爆投下は、100万人のアメリカ兵の命を日本上陸作戦から救い出した、といわれるのです。しかしどう見ても広島では10万人以上の、長崎では7万人以上の市民を犠牲にした原爆投下は、まごうことのない戦争犯罪でした。
1945年4月に、時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトが急死したのを受けて、副大統領だったハリー・トルーマンが大統領職を引き継ぎます。そして5月にはドイツが降伏して、いよいよ日本だけが世界に向かって絶望的な戦争を続けていました。南方の島々では弾薬も、ガソリンも、食糧すら底をつき、日本兵たちはネズミ、蛇など食えるものは何でも食べ、ついには死んだ戦友の肉まで口にした人もいたといわれます。沖縄戦が終了したのが6月。日本は原爆投下なしでも、戦争継続は不可能な段階を迎えていたのです。けれど原爆が完成したのが8月1日。トルーマンは是が非でも日本に原爆を投下するつもりでした。
一つには戦後世界でソ連との関係悪化を予測し、アメリカの圧倒的核軍事力を見せつける為に、おろかにも不必要な広島、長崎に原爆を投下してその威力を世界に示したかったのです。トルーマンは戦後何度となく原爆投下を批判され、良心の呵責はないのかと問われました。その度ごとに「原爆投下は過ちではなかった。私はそのことで精神的呵責を感じたことは一度もない。」と強弁し続けました。
けれど原爆投下は、アウシュヴィッツとともに、20世紀を代表する戦争犯罪でした。だからこそオバマ大統領が来られるなら、私は歓迎したい。できればオバマ大統領は被爆者たちに謝罪してほしい。しかしそのことは、改めて自国の戦争犯罪はそれほど見つめることが難しいことを私たちに教えてくれるのです。謝罪は<自虐>とは正反対のことです。過去の過ちを認めることは、勇気ある行動です。むしろ敵対感情を抱いていた人々と和解することにつながるでしょう。
ドイツ人は大統領が変わるたびにエルサレムやテルアヴィヴに出かけてゆき過去の過ちを謝罪しています。ベルリンの都心のど真ん中に巨大なユダヤ人記念施設があり、かつてここで何があったかを明示する施設があります。そうして過去に向き合う姿がドイツ人への信頼を高めたかはかり知りません。
ことはドイツでも、アメリカのことでもありません。日本の問題です。日本の総理大臣はまずソウル、北京に行って慰安婦について、植民地支配について、南京事件について、心からの謝罪を表明すべきです。彼はヨーロッパに行っても、オランダは訪ねません。オランダではかつてインドネシアに在住したオランダの女性相当数が慰安婦として徴用され、未解決だからです。20世紀の戦争という過ちは21世紀でこそ解決すべきでしょう。ところが、方向は逆向きに動いているようにも見えますが・・・・。
(2014年05月18日 週報より)