神の高みを目指そう

大袈裟にいえば、日本中が揺れました。ほかならぬマンションの強度不足の事件です。当の設計士の方、優しそうな顔のひとで、悪人顔には見えません。真偽のほどは分かりませんが、家族思いの人であるという報道もありました。個人的には善良で、こんな事件がなければ幸せを絵に描いたような家庭生活をおくっておられた方かも知れません。
うちの建物は大丈夫か?
誰もが漠然とした不安を抱いたことでしょう。神戸の震災で、高速道路が倒れた時、日本中の高速道路にコンクリート不足の欠陥があったことが問題になり、急いで鋼鉄板を巻くなどの補強工事が行なわれたことがありました。今回の事件は、今回限りの、特別な設計事務所による、限られた建設施行会社の出来事ではないように感じているのは私だけでしょうか。

商売をやる以上はコストは低く、利益は最大にと考えるのはだれしも同じです。教会のバザーだって、それができれば、残るお金は大きくなります。でも不当に、不正に利益をあげてはならないのは当然です。そのために様々な規制があり、法律があります。良識や、社会的公正の常識もなくてはならないのです。しかし今回は、新築、または新築中のホテルやマンションが、震度5強の地震で崩れる可能性があると伝えられました。神戸の震災は震度7強の地震でした。つまり震度5強クラスの地震というのは、日本中ざらに起こっている地震です。<新築で、安全だから>が、新築マンションを選んだ人々の理由だったでしょう。ところが実際には、いわれている強度の3割前後しかなかったと知った時には、<だまされた>という思い以外の何ものでもなかったでしょう。

当の設計士の方の内心はどうだったのでしょう。専門家ですから、強い地震が起こった時にはどうなるかの予想は出来ていたことでしょう。しかし発生した大地震の中で、ばたばたと多くの建物が倒れる中で、関係者は言い逃れの理由もすでに出来ていたかも知れません。『予測をこえる大地震は、設計常識をこえるものだった』とかいえば、個人的に訴追されることはないと関係者は考えてたかもしれません。

こうした問題に接して、<だれしも、よくないことはやってはならないのだ>と個人的には考えます。しかし、いっそうの利益をあげるため、つい不正に手を貸してしまうということは日本中であります。<わかっちゃいるけど、つい・・・> 談合の問題は、国、県、市町村。永遠に消えません。個人の判断を越えて、商慣習のように行なわれている不正も後を断ちません。それは勤務先の会社や業界の利益が、国民全体の利益や正義にかなっていなかったのです。人は、自分や自分自身の関わる共同体の利益しか見えませんから、そこで、つい妥協して、わかっちゃいるけど、不正には目をつぶるのです。そうした事々は、個人レベルから、さまざまな共同体レベルまで数えきれないほどあるように思います。

要は、人はたんに善良で、周囲に受けの良い人間であるだけでは、足りないのだと思います。大切なのは<神の法にかなう>とでもいったことです。国家が過ちを犯すこともあります。最近の新聞の投書欄に、かつての中国侵略戦争に出征して、幼い赤ん坊を殺した日本軍人が、今、老年期を迎え、どうしても、その手で孫を抱くことが出来ない、というものでした。なんと残酷なこと、と思いました。だからこそ神の法が求められます。
人は神の法に根ざし、これにシフトして物を考え、受けとめ、生活をすべきなのです。
たしかに、人の生活は、国や勤め先あってのものでしょう。しかし、神に根ざさないものは、現にこうして退去の求められる新築マンションやホテルのように、いつ崩壊するともしれないのです。あらためて、今、神の高みをめざしましょう。

(2005年11月27日 週報より)

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