アドベント―待降節

教会暦によれば、本日からいよいよアドベント(待降節)が始まります。新年までにはまだ一ヶ月以上ありますが、教会暦は待降節第一主日の本日から新たな1年が始まります。世のなかは、もうクリスマスがスタートしているかのようなイルミネーションですし、イメージとしてのクリスマスは、すでに教会から離れてしまっているかのような感じすらあります。
世の中のクリスマスは、お金のない人には無縁です。幸せを謳歌している金持ちはいよいよぜいたくをし、お金のない貧しい人はますます寂しく置き去りになるのが、世のクリスマスです。
数日前のTVニュースで田中貴金属ジュエリー社が1,5メートルの純金のクリスマスツリーを大阪で展示しているとのことです。値段はなんと1億5千万円だそうです。クリスマスツリー・純金・1億5千万円。どう見てもつながらないものが、クリスマスの話題となります。
<・・・でなければ幸せになれない。> <・・・がなければ喜べない。>現代の世界はさまざまな条件を突きつけられます。それに当てはまらないと、社会から置き去りにされるような、思いに駆られるのです。しかしそれは単なる思い込みであることが多いのです。人間はそんなに単純な存在でもありません。
クリスマスは世の人々が酔い、寝静まった真夜中に、野で幼子イエスの誕生の音信を聞いた貧しい羊飼いがベツレヘムの馬小屋を訪ねて、幼子イエスに出会った物語です。神に出合うことの出来る人は貧しい人、失意の人、失敗を経験した人、自分の弱さを知っている人が多いのです。すべてが順調で、有り余るほどの金があり、自信に満ちているときに、神に出会うことは難しいのです。人生がうまくいっているとき、人は自分が出来る人間で あるかのように思い込みます。

イエスの誕生の預言として、後の教会がイザヤの言葉を受け取りなおした言葉です。
「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで その根からひとつの若枝が育ち その上に主の霊がとどまる。 知恵と識別の霊 思慮と勇気の霊 主を知り、畏れ、敬う霊。・・・狼は子羊と共に宿り 豹は子山羊と共に伏す。・・・乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ 幼き子は蝮のすに手を入れる」イザヤ11章

イザヤの生きた時代はアッシリヤが世界帝国への道をひた走り、北イスラエルはアッシリヤに踏みにじられ、国も民も消滅させられました。やがてイザヤの生きたユダ王国にもアッシリヤは軍事支配の手を伸ばそうとしていました。しかしそこに1人のメシアが現れ、その支配の下で軍事力でも、権力欲でもなく、狼は子羊と共に、豹は子山羊と共に伏す・・・野獣が野獣であることをやめる日が来る、平和が実現する時が来ると語ったのです。

人間の世界は競争社会といわれます。半年前にアメリカの投資銀行などの金融機関が、こうしてばたばたと倒れることを予測した人は少数だったと言われます。数ヶ月前まで、こうしたところに勤めていた20歳代の青年が、年収にすると3千万から5千万円を得ていたとある経済の専門家が話しています。今ではその現象は強欲資本主義と呼ばれています。実態とはかけ離れた錬金術的な詐欺的収奪と言えるほどの現象でした。野獣のようなあり方です。
理性・識別する心も失せる時、人は野獣的になります。同時に、競争社会の中で、昨日まで勝者であったものが、今日の敗者になるということはいくらでもあります。誰もが安心して歩む世界はいつ来るのでしょうか。
M.Lキング牧師の有名な演説です。「私には夢があります。いつの日か人々は立ち上がり、兄弟として共に生きるべく創られたと言うことを知るに至る時が来るでしょう。いつの日にかこの国のすべての黒人と、この世界のすべての人が、彼らの肌の色によってではなく、その人格によって判断され、すべての人間が、その尊厳と人格の高さによって敬われる時が来るでしょう。」
イザヤの夢は主イエスの降誕と共に実現したのです。キングの夢は主イエスによって、部分的にではあって実現しつつあります。主イエスに夢を見ることこそクリスマスにふさわしいことです。心痛む人にささやかな幸せが必ず訪れること、世界で平和構築が進み、すさむ社会に平和が実現しますように、いのります。

(2008年11月30日 週報より)

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