旅をして

教会の皆様には無理を言って、今年も長女のところを訪ね、また、念願のバイエルン(南ドイツ)の町をいくつか旅する機会をいただきました。嬉しい経験、驚愕の経験が、人々とのさまざまな出会いの中にわたしの心に刻まれました。ミュンヒェンから南に向かってはロマンティシュ・ストラーセ(ロマンチック街道)と呼ばれるおとぎの国のような美しい町が連なるところです。ですがここにもかつてナチ政権はいくつかの強制収容所を建設していました。
説明によれば、ダハウは美しいバイエルンの中でも宝石のように美しい町として知られていたとあります。現にバイエルン王国(シシーという愛称で知られるハプスブルグ王家の事実上の最後の美しい皇后の実家)の城があります。ヒトラーは1933年、政権を取ると同時に政治犯を収容するための強制収容所をここダハウに建設することを決定し、3月22日に施設は完成したのだそうです。ダハウはミュンヒェンから列車でわずか20分ほどのところで、駅からはバスで10分少々でつきます。ここには日本人のツアーは来ていませんでした。一歩足を踏み入れればサッカー場が数十もあろうかと思うような広大な敷地に広がる収容棟、ガス室、拷問部屋そして人体実験場。数知れない多くのキリスト者、神父、牧師達が虐待されてここで命を落としたのです。そしてここが全ヨーロッパに広がったドイツ占領地に造られた強制収容所の原型になったとのことです。
ミュンヒェン周辺は、息を吐くのももったいないほどのあまりに美しい町々があります。ほとんどの家々の外壁を伝統的な美しい絵柄で描きあげた町。ここで立ち寄ったカフェのおじさんに、荷物の保管をお願いしたら二つ返事で了解してくれ、彼は札幌オリンピックの滑降で6位入賞した賞状まで誇らしく見せてくれたのです。町のあまりの美しさとその正反対の極にあるアグリーな重い過去に、現在のドイツ国民が必死に向かい合っている姿を見せられた気がしました。ミュンヒェンの街中は観光客であふれかえっていますが、同時に町のあちこちに刻まれているナチの犯罪跡を丁寧に回るツアーも目にすることが出来ました。

他方、長女がいるイタリア・ピエモンテ州は、いわゆるスローフードを生み出した町々があります。地域はフランスに隣接し、フランスの香りも感じられます。一帯はブドウ畑で埋めつくされており、また丘や山の上には、この上ない美しい教会やリストランテが点在し、いずれもいわゆる格付けされた星を持って、食べるのがもったいないほど美しく、まさに芸術の域に達しているのではと思えるほどの見事な料理を出してくれます。また牧師が言うのも変ですが一帯で産出されているバローロ・ワイン、バルバレスコ・ワインは日本でもかなりの値段で取り引きされる高級ワインで、素人が口にしても、絶品の味わいです。
ただ、イタリアの町々を歩いて、なぜこんなに多くの教会がなければならないのかと不思議になります。また、少しも特別ではない地元の教会に入っても、美術館と思えるほどの絵にしばしば圧倒されます。それにしても、あまりに教会が多いのです。教会が多くても、イタリアには<すり>が多いし、懐中物には最大の警戒が常に求められます。盗る技術もイタリア人はたけています。つまり教会が多くても、イタリアがとくに道徳的になったわけではない・・・様な気がします。真面目さなら非キリスト教の日本のほうが上でしょう。
ですがトリノの教会で、あるミサがありました。聖書と十字架を掲げ、枢機卿である大司教が司式する美しい音楽ミサ。私は深く、深く、深く感動したのです。伝統の中に育まれた教会も、かつてはみずからの財力、権力で人々を支配しようとし、それが必要以上の数の教会を建て上げる結果になったと感じています(わたしの勝手な思いですが)。しかし、そのなかに ひとのこころを change する宝を持っています。旅行中に読んでいた本の一節です。

ブルトマンによれば、初期キリスト教のメッセージは、パウロの宣教とヨハネ福音書の中に最も深く表明されていた。実存主義の範疇に還元されると、そのメッセージは、自己の過去からの解放の宣言であり、自己の未来に過激に解放的であれ、という呼びかけであった。

「失われた福音書」バートンマック著

途方もない人間の罪と、そこからいかに自分自身を見出し、たてあげていくのか、日本の教会の課題であり、私の課題でもあります。

(2011年07月03日 週報より)

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