神が生かしてくださるから
われわれの人生にはあまりにも多くの事件が、次から次へとおこっていきます。多くは忘却のかなたに忘れ去られていきます。しかし、その反対に、その瞬間の出来事が、まるでスロービデオで再現するように、この目に焼きついていることもないわけではありません。20年以上前のことです。私はある教会員の方と、東村山方面から車で帰宅する途中にありました。運転は年配のMさんがしていました。
車は桜ヶ丘手前、多摩川に近い裏道を通っていたときです。猛スピードで疾走して、反対車線にはみだして、われわれの車を追い越していった車がありました。一瞬のことでした。その暴走車がもとの車線に戻ったとき、横断歩道を渡っていた小学校4年生の男の子が、道路の中央にいたのです。男の子は避ける間もなく、車にはね飛ばされたのです。暴走車の直後にいたわたしたちは、事故の目撃者でした。それは予想もしない光景でした。
男の子は車に跳ね上げられて、自転車ごと20-30メートルも飛ばされたのです。それも、からだと自転車が羽根のようにくるくると回転しながら、跳ね上げられてやがて路上に叩きつけられたのです。やむを得ず車を止めてもらい、Mさんに直ちに救急と警察に電話をしてもらいました。交通事故はだれでも加害者・被害者になりうるものです。ですが事故を起こした青年は、同様な事故を何度も繰り返している常習者であると後になって聞かされました。彼はわれわれにすがるように「あなた気づきましたよね。あの子が急に飛び出したんです!そう警察に証言してください。」わたしたちはただただ驚くばかりでした。
男の子は、意識がありませんでした。足のかかとは骨が露出して、複雑骨折がいくつもある様子でした。救急車が着くまで、私は声を出して、必死で祈ったのです。やがて男の子はか細い声を上げて、「痛いよう。」と泣き始めました。意識が戻った瞬間でした。男の子は府中の甲州街道沿いの奥島病院に運ばれました。一週間ほどして、余計なこととは知りながら、私はその病院にその子を訪ね、再度祈ったのです。 全身を打撲した、ひどいけが。痛ましい有様にもう一度心痛めました。でもそれ以上関わることは、私のすべきことではありませんでした。
ところが、それから1年ほど経過して、この子の母親から1枚のはがきが届いたのです。じつは坊やはすっかり全快したのだそうです。手紙によると、「足に何の障碍も残らず、今は歩き、走ることができます。あの時、祈って直ちに救急してくださったことが、この結果をもたらしました。ありがとうございました。」と言う内容だったのです。
最近よく聞かれる言葉です。『人は生きているのではなく、生かされているのだ。』 まことにそうだと思いますが、あえていえば『神に生かされている』と言うべきです。人生には生か死か、どちらかに生命の針が振れる時があるのかもしれません。少なくともこの時、少年は自転車に乗っていたと言う状況もてつだって、車輪の下に巻き込まれるのでなく、ボンネットに乗せられて、いきおいで空中に飛ばされたことが、全快につながったのだと思います。ひとが『(神に)生かされているのだ。』と知るときに、人生は180度変わるはずです。
わたしが生きているのは、ことによると、とてつもない奇跡の結果かもしれないのです。うれしく、感謝して、生きることは、当然の生き方になるでしょう。喜んで、和解に生きること。われわれも誰かのために多少の努力をして生きているけれど、それ以上に見知らぬところで、誰かが、われわれのために、献身的に生きていてくださることがあるかもしれません。かくれた神の御手は十重二十重(とえはたえ)にわれわれの周りにめぐらされていることにも気がつかされます。これが見える人と、見えない人の人生は、全く異なる展開があるでしょう。
(2007年02月11日 週報より)