平和を生きる

今年も半年が過ぎようとしています。由木キリスト教会では8月のはじめに必ず平和聖日礼拝を行うのが通例です。あちこちで盆踊りが行われる8月は、本当は鎮魂の月でもあります。わたしは外地樺太の生まれなのです。戸籍上では樺太の生まれで5男にあたります、両親は二人の兄と一人の姉について完全黙秘で一言もわたしに語ろうとしたことはありません。その深い沈黙こそ両親の悲しみを物語るものに違いありません。

国が戦争を行うためには、それなりの体制が必要になります。最初から戦争に賛成する人間などいるはずもないでしょう。ジャーナリスト、市民、軍人でさえも戦争不拡大は共通した考えでした、真珠湾攻撃を成功に導いた日本海軍の将校たちもアメリカとの全面戦争は大半が反対でした(日本海軍400時間の証言―軍令部参謀たちが語った敗戦NHKスペシャル・取材班)。けれどある時点から、法律も思想も宗教ですら<反戦>を赦さない体制として人々を絡めとっていきました。その際に使われるのがマインドコントロール、あるいは洗脳という手法です。日本を<戦争のできる普通の国へ>とは、我々がこの手法によって洗脳されつつある過程なのかもしれない。

間もなく広島・長崎の原爆記念日です。広島、長崎原への爆投下機が発進したテニアン島で従軍司祭として働いていたのがカトリックのジョージ・サベルカ神父でした、彼は日本の敗戦後、直ちに広島入りをして平和への行動にシフトしたのです。
1940年代当時のきわめて貧しい日本が、アメリカと戦争をするなど正気の沙汰ではありませんでした。しかしそれを当然のこととして、遂には戦闘機に片道のガソリンだけを積んで爆弾ごと体当たりさせる。かつて日米の兵士たちが洗脳され、正常な心を奪われた戦いであった。

もう戦わない。 平和に生きる

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