じつは変わっていなかった
いうまでもなく日本は先の大戦で大変な犠牲を強いられたのでした。むろん戦場となったアジアの諸国にはいまだにゆるしがたい悲しみと怒りを残しています。私の一家は樺太で生活していました。幼くして夭逝した二人の兄と一人の姉の墓がどこにあるのか、私は知らない。彼らのことについて両親は一言も語らずじまいだった。大混乱の中、何もかも捨てて命からがら我が家は引き上げてきたのです。戦争とはそういうものです。
戦後、日本は何もかも変わったという人がいます。しかし本当に劇的に変わったのだろうか。確かに戦争が終わって、大半の人々は、ほっとしたことです。もう爆撃を受けることはなくなった。けれど敗戦というこの上ない節目に、過去の日本がどれほど暴虐な姿を持っていたのか、そして、そこに何がしかかかわった自らの姿を重ね合わせて、深刻な反省に駆り立てられたという人はどのくらいいただろうか。戦争中、小学校の教師をしていた三浦綾子さんは、戦後になって自分が行ってきたいわゆる皇民化教育の過ちに気づき、そのやりきれなさから自暴自棄になり、その後キリスト者になったと書いています。
戦後、日本には、世界に類例を見ないほどの民主的な憲法が制定された。占領軍の押し付けという人もいますが、実はその土台となるような憲法草案が民間の憲法学者によって練り上げられたものが土台となったことが知られている。一千万人を超える戦争犠牲者を出し、二度と戦争はごめんだという強い思いが平和憲法の土台となっています。
ところが、他方で靖国神社の国家護持や軍国主義への傾斜がはっきりした流れとして企てつづけられてきた。自衛隊は戦争をしない災害救助隊くらいに受け取られている節があります。しかしいよいよ本格的戦闘部隊として海外の戦地へと送られることが国会で検討されるようになっています。たとえ自衛隊が存在してもそれは専守防衛に徹することで、戦後70年、外国に出て行って他国との戦争はしないことを守り通してきたのに、いつでも、どこにでも、出て行ってアメリカとの集団的自衛権を発動できる、戦う軍隊に一挙に変えてしまおう、と検討されています。
ただでさえも福祉の切り捨て、引き下げが目立ちます。外国に、軍隊を派遣するとなれば、その準備のために、軍備の充実を図らねばならなくなるでしょう。戦車、潜水艦、戦闘機、銃器類等、何兆円あっても財源が足りません。増税を図らねばならなくなるでしょう。消費税どころの話ではなくなるはずです。もっともこれを作っている大企業にとってはたまらない商機になるでしょうが。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
憲法前文
日本国憲法にもられているこの平和主義は、なんといっても行き過ぎた無責任な軍国主義に引きずられたアジア侵略の歴史への反省に行き着くのです。戦後70年、日本は平和主義に徹してきました。そうした日本人へのイメージはすっかり定着しています。にもかかわらずアジア人の視点から、日本人にはなお残虐な行為へのイメージは消えてはいないのです。ここで歴史を逆転する愚は日本にとって不幸以外の何ものでもない決断と思います。
(2015年05月31日 週報より)