日本列島の54匹の「金の子牛」(2013 年「夏の交流会」発題要旨)

「安くて安定的なエネルギーを供給する責任がある。」
2013年7月21日の参議院選挙で圧勝した政権与党の主張である。その理由としてあげられているのが、エネルギーコストの上昇、貿易収支の悪化、CO2の増大、責任ある政治、だから再稼働容認、原発推進である。しかしメルトダウンした3基の格納容器には、いまだに毎日大量の水を注ぎ続けなければならず、同時に地下水も建屋内部に流入しており、1日400トンもの高濃度放射能汚染水が発生し、その多くは海に流出しているという。こうした汚染水を貯蔵するために設けられた地下貯水槽は、設計ミスによる漏洩によって使用不可となった。代わりに地上タンクを増設しなければならないが、それも限界である。低濃度汚染水の太平洋への放出が避けられないが、これは公海に対する意図的な放射能汚染の容認である。そのうち低濃度の「低」の基準値が改変されるのも時間の問題であろう。
これらは更なる爆発を防ぐために最低限必要とされる作業に限っての現状である。さらに4号機に貯蔵されている1,535本の核燃料棒の回収、破損している2号機圧力抑制室の修復、1~3号機のメルトダウンした核燃料の引き上げなど、福島第一原発6基を解体して更地にするために、これからどれだけのリスクがあるのか、どれほどの経費が必要とされるのか気が遠くなる思いである。
だからといって目をそむけて考えないようにしている訳にはいかない。仮に核燃料棒の取り出し作業中に震度6以上の揺れに襲われても何の問題もないなどと、いったい誰が断言できようか? さらに現場作業員たちの日常的な被曝、使用済み核燃料(放射性廃棄物)の最終処分問題、核燃料サイクルの破綻など、どう考えても存続の余地がない原子力発電という巨大システムを相変わらず維持しようとする無謀な政策がなぜ容認されてしまうのか。そこには物事を理性的に素直に理解し評価しようとせずに、あくまでも現状を維持し続けようとする何らかの思惑・強力な意思が存在すると判断せざるを得ない。端的に言えば経済最優先、「未来の安全や豊かさよりも、現在の生活や利益の方を優先する」という考え方である。

イエス・キリストは、宣教を初めるにあたって「人はパンだけで生きるものではない」と言われた(マタイ 4:4)。毎日のパンだけを求め続ければ、それは何時の日か必ずや「金の子牛」(出エジプト 32)を生み出すことになる。それを避けるためには、「飢えることのないパン」「渇くことのない水」(ヨハネ 4:13)が見据えられなければならない。しかし私たちは、ともすれば日常の事柄にのみ心を奪われ勝ちである。毎日の利便性を、少しでも快適な生活を、「安くて安定的なエネルギーを」。
イエスは、そうした私たちの心性を見通して、あらかじめ楔を打ち込んでいた。驚くべき楔を。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか」(マルコ 10:23)。資本主義などといった概念が生み出される遥か以前に、人間とその欲望について、明確な指針が示されていたのだ。言い換えれば、キリスト教という宗教が人間の欲望を基調とする資本主義という名の経済システムに対して、どのような立場を取るべきかという根本的な表明である。これを、「ラクダと針の穴原則」と名付けよう。これは、キリスト教の核心的な命題の一つである。2000年前にこうした言葉を聞いた人々が皆一様に「驚いた」、「ますます驚いた」のも当然である。私たちは、この基本方針を胸にしっかりと据えて、毎日の出来事に対処しなければならない。ある種の人々にとっては、極めて都合の悪いあるいは聞きたくない、耳の痛い「指針」を。イエスが怒り、悲しまれたのは、明らかに誤っていること(羊が穴に落ちても規則を口実に放置するようなこと)を黙認し、何も発言しない、自らの意志を明らかにしようとしない、道の反対側を通るような私たちの「心の頑なさ」(マルコ 3:5)に対してである。だからイエスは、私たちに言われる。「あなたも同じようにしなさい」(ルカ 10:29)と。

五十嵐 彰 (2013年8月11日 週報より)

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