歴史に刻まれている出来事

―――― 6月26日(弾圧記念日を前にして)―――

1942年6月26日、日本基督教団6部と9部に所属していたホーリネス系教会に特高警察が押し入り治安維持法違反として、牧師124人が逮捕拘留され、その中の7人が留置場内で拷問によって刑死しました。その他の多くの牧師が警察で尋問を受けたものの、この人々は「天皇とキリストとどちら神なのか」と問われ、信仰にしたがって正直に答えたことが、治安維持法に問われたとのです。中には終戦後まで留置された人々もいましたが多くの人々は、病に倒れ9-10ヶ月の留置場生活を経て釈放されたものの、牧師職を剥奪され、生活の手段を奪われたのです。逮捕された人々は、当時の国体にあわないキリスト教を捨てることを強要され、転向声明書を記述することを強要されました。強制とはいえキリスト教信仰を曲げたことを悔い、教会から去った牧師も少なからずいたようです。

そうしてキリスト教信仰を治安維持法違反と問われ、9ヶ月間拘留された一人が黎子牧師の母「小林春江牧師」でした。

これは小林春江牧師が残したあかしです。

「ホーリネス系の牧師たち124名が、1942年6月26日早朝一斉に検挙されました。私は検挙された中で年が二番目に若かったのです。この朝、柏木聖書学院を警官がたくさん取り囲んで、私は当日その中にいたのです。私は広島開拓で伝道していたのですが、この日の10日前に学院構内に住んできよめ教会本部の事務をしていた小林亀治と結婚していたからです。
その後、結婚前に牧師をしてた広島に護送され、着いたところは広島県庁地下留置場でした。ここでも検査され、口の中まで調べられ、コンクリート室の中でゴザ一枚敷いた7号室に入れられました。その後、この刑事が信仰の転向を求めたのです。『天皇陛下は現人神で、キリスト再臨の時に天皇が下になることは不敬罪だ』と刑事は迫り、私は『聖霊に逆らう冒涜は赦されません』マタイの福音書12:31のみことばを盾にして『出来ません』と言いました。見ると、コブシを上げてぶん殴る形相の手は下におりていました・・・。」

いつの時代でも、サタンは、色々な形で「私を拝め、そうしたら何でもあげよう」とあのイエス様を誘惑したように私たちにも語りかけてくる。旧約聖書のダニエル書と同じような環境にある日本で誰をどのようにしていくかが問われている。

(2013年06月23日 週報より)

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