客船事故

先週といっても2月29日にアフリカ・マダガスカル方面を航行していた<コスタ・アレグラ>なる豪華客船が火災を起こして航行不能になったと伝えられました。この船はイタリアのジリオ島で横倒しになったコスタ・コンコルディアと同じ会社に所属する船だとも伝えられました。今回の事故は大事には至らなかったものの、地域から言えば海賊事件が多発するソマリアにも遠くなく、状況が一歩違えば大事にいたるところだったと思われます。結局この船はフランスの漁船に曳航されて、英領のセーシェル諸島の島にたどり着いたのです。巨大な客船が漁船に曳航される姿は哀れというほかはありません。

豪華客船はこのところますます巨大にそして名前どおりド派手なサービスを提供する社交場のようなところのようです。食べたいなら24時間雰囲気あふれるレストランやバーが開いています。プールで泳ぐこともでき、カジノがあり、ディスコがあり、図書館があり、映画館もあるようです。

しかしこの<コスタ・アレグラ号>は火災で航行不能になりました。いわば舵を失ったのです。こんな贅沢で、楽しみにあふれた施設も、火災で一瞬にして電気系統を失い、乗客たちは一挙に食べるものにさえ事欠き、トイレすら使用不可能になったです。この<コスタ・アレグラ>の出来事は、わたしには、わたしたちの人生や、この生きる世界を予感させるものに写ったのです。電気系統を失い、舵すら失った豪華客船は日に日に海賊の蔓延するソマリア沖に近づいてゆきます。

日本という豪華客船に乗って成り立っているわたしたちの日常生活。人生には目や耳、舌という五感を楽しませる刺激は捨てがたいでしょう。しかしこのわたしの<豪華客船>も突然の事故に見舞われることがないわけではありません。人間関係のいざこざ、孤独、愛や憎しみ、病気、高齢化、そして近づく死。今回のような客船事故はめったにおこるものではありませんが、わたしたちの日常という一見豪華客船は、もともと目的地が明確ではないのです。永遠や死という目的地を常に見過ごしにして歩んでいる人生こそ、最初から目的地のない航海を航行しているに過ぎません。

キリスト教信仰を生きることは、そうした人生にひとつの答えを持って生きることにつながります。どんなに豪華客船の旅でも、わたしなら数日が限度です。すぐに飽きてしまうでしょう。神のもとにまっすぐに歩んでゆくことこそ、人生のたびの王道です。時に横道にそれること、航路を外れることがあるかもしれません。でも根本的に神に向かっているからこそ、航路のズレも分かりますし、修正もできるでしょう。

わたしたちはこの人生が<自分の人生>と思っています。しかし明日どうなるか分からない人生が<わたしのもの>と言いうるのかも問題です。やはり神抜きに人生を思うことなど不可能です。そうして新たな人生に踏み切れば、違った人生が展開するのです。

(2012年03月04日 週報より)

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