主を迎えるために

ルカ福音書3章1-20節

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イスラエルを南北に流れるヨルダン川は、ガリラヤ湖から死海を貫く有名な川です。死海は南北76キロ、東西14キロで、あまりに塩分が濃く、魚など水生生物は皆無なのだそうです。ですから死海(死んだ海)と呼ばれ続けてきたのです。もともと非常に高い塩の湖だったそうですが、イスラエルが国家として成立すると、開国以来、死海に流れ込むヨルダン川の水を灌漑用水に使ったため、流入する水量が極端に減り、しかもこの辺は大変暑い場所で、1942年6月21日に気温が摂氏72度を記録したとかで、流入量は減り、水分は蒸発する一方で、ますます塩分濃度が高くなっていると、ある聖書辞典では説明がされています。
そうした地域でヨルダン川は、その流域にみずみずしい命を与えています。そして主イエスの出現に少し先立って、洗礼者ヨハネが現れて、人々に洗礼を施して、洗礼を受けることによって新しく生きることを勧めたのです。ヨハネは禁欲的な生き方を身に課していました。それはユダヤキリスト教の伝統の中で、砂漠や荒れ野に時として現れる宗教家に時折見られるのです。ヨハネは徹底していました。らくだの毛ごろもを着物にして、腰には皮の帯を締め、イナゴと野蜜を食べて暮らしていたと伝えています(マタイ3:4)。人々はこの人の生き方や、そのメッセージから、ここに、新しい預言者が現れたと深く思ったのです。国は混乱し、人心は乱れ、社会は心すさんでいました。人々はヨハネが来るべき預言者、否、来るべき救い主ではないかという期待さえ抱いたのではないかと思います。
けれど聖書は、このヨハネはキリストの先駆け・キリストの先備えをするものとしてキリストに洗礼を施す大役を果たす者だったと記します。そしてルカは、「皇帝ティベリウスの治世の第15年・・・」から始まり、ヨハネの出現の時代を書き始めるのです。ヨハネという存在が、小さなヨルダン川のほとりの出来事であったけれど、世界地図にしたら記載も叶わない小さな場所で起こったことは、世界の中心であるローマですら影響を受けざるを得ない、世界的な意味あいを持っていたというコトを言いたかった。

ヨハネのもとにはユダヤ全国から大勢の人々が集まってきました。しかしヨハネの言葉は痛烈で、峻厳を極めたのです。ヨハネは人々に、頭ごなしに<蝮の子よ(7節)>と怒鳴りつけたのです。人々は自分がナニがしか罪の心があると思って、<何事かを悔いるために>ヨルダン川へ来たに違いないのです。しかし、それだからといって、自分たちが蝮の子と呼ばれなければならないほどに悪人であるとは思っていなかった。ヨハネの言葉は、思いがけないほどの厳しい言葉だったでしょう。「彼は何を考え、彼は何を要求しているのだ」と思ったでしょう。本当は、神の要求と人間の自己理解との間は、途方もないほどの食い違いがあると、ヨハネの言葉は表します。

われわれもナニがしか悪いところがあり、小さな悔い改めが必要なのだということは考えています。でも、小さな悔い改めはあっても、<自分には>決定的に悪いところがあるとは考えていません。ですからなにかあると、自分が悪いとは言えない。言わないのです。悪いのは周囲であり、隣人であり、社会です。そして自分は悪くないのです。被害者なのです。そう言い始めます。しかしヨハネは「われわれはには罪があるというのではなく、われわれは罪びとなのだ。神が告げられるのはこの一点なのだ」というのです。
われわれが悔い改めるときには、あの罪、この罪を悔いて、新たに出直そうとします。でも多くの場合、また同じコトを繰り返して、元の木阿弥になってしまうのです。小さな悔い改めをいくら繰り返しても、根本的に、私はどうにもならないことに気がついていないのです。自分はたまたま罪を犯す人間ではなく、根本的に罪びとそのものなのだと気づくべきなのです。それとこれでは全く違うのです。ヨハネはそれを知っていました。ヨハネはそれこそ、神が求められることであることを知っていました。

人々は出なおすために、ヨハネの洗礼を受けようと思ってきました。でも話は全く違っていました。自分は罪を犯した。だから新たな出直しを図ろうとした人々でしたが、ヨハネに言わせれば、それは神の怒りを引き起こすばかりの大事なのです。人々はそれが神の怒りを引き起こすほどのものとは、到底考えていなかった。自分が罪を犯したのだから、自分で悔い改めれば済むものと思っていた。

詩編51篇5-10節にダビデの悔い改めが告白されます。人は生まれながらに罪びとなのです。罪を犯したから罪びとになったのではなく、罪びとだから、罪を犯したのだとダビデは告白します。
罪を犯したことが神の怒り、神の心をまで傷つけるなどとは思わないのです。人は自分の罪には本当に気付かないのです。信仰者といわれる人であっても、明白な罪があっても、様々に言いくるめることが出来ます。人の目から隠し、神の目まで隠し通そうとするのです。

ヨハネにとってはそれが最も大切なことでした。「あなたの罪に対して神が怒っているのだ、それをどうするのだ」。だから洗礼を受けるということもいいでしょう。でもすでに斧が木の根元に置かれている。神が求められる、よい実を結ばないものは切り落とされる以外には無いのだ。でも、少しばかり良い生活をして、罪をなるべく犯さない生活をすればよいというものではないのです。つまり神に立ち返るかどうか、と言うことです。完全に神のほうに向かって、神に帰る。それは単に気持ちを変えるとか、決心をし直すと言うこととは違うのです。わたしたちの全生活を神のほうに向き変える。
したがってこの悔い改めにおいてはイスラエルという特権は全くゼロなのです。神との関係が近いと誇っていたイスラエルの民がそこに多くいました。彼らは「自分たちはアブラハムの子」と誇っていました。悔い改めにおいても、洗礼においても、特別扱いだと思っていましたが、ヨハネはそれこそ愚かしいものと一蹴したのです。「神がその気なら石ころからだって、アブラハムの子孫を作ることが出来る」としたのです。神の前に誇りを持つことの出来る人など世界のどこにもいません。自分の罪に対して、その責任を許してもらえる人などどこにもいないのです。どの人間も、例外なく、ひとり残らず悔い改めねばならない。みんな神に帰れとヨハネは声を限りに語ったのです。

そこには大勢の群集がいました。徴税人と兵士のことが特別に述べられています。神の前には大きな罪びとも、小さな罪びともいません。あのパウロでさえ自分は罪人の頭(かしら)とさえ言ったのです(1テモテ1:15)。しかしこの徴税人と兵士は人間の罪がトクにあからさまに現れていたのです。徴税人はユダヤ人でありながら、ユダヤを不当に占領しているローマのために税を取り立てていました。同胞から見ればやりきれないほどの憎しみを浴びていました。そして彼らはローマの権力をかさにきて、ずるがしこい儲けを上げていたのです。生活のためにはどんなに恥知らずな手段を使っても、利益を追求する。それはいつの時代にもあるかもしれない。しかし、それはソフトに、巧妙に行われていて、徴税人ほど露骨ではないだけかもしれない。
さらに兵士です。ここに来ていたのは直接のローマ軍の兵士というより、ユダヤ王ヘロデ・アンティパスに使えていた兵士といわれます。彼らは武器を持っていました。人を脅すことが出来ました。機会あるたびに彼らは人を脅していただろうと思います。武器を持つと人が変わります。自分が勝てると思えば人はナニをしでかすかわからない。そうして人の道を外していた。しかしヨハネはその人々に神の目を持って見ようとした。そして悔い改めを迫ったのです。

2023年1月8日 礼拝メッセージより

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