極みない神

ローマの信徒への手紙 11:33-36

ローマの手紙11章はイスラエルの問題が述べられているところです。17節以降は接ぎ木された野生のオリーブの木のたとえが書かれています。もともとあった一本のオリーブの枝が切りとられて、そこに野生のオリーブが接ぎ木されているのです。その野生のオリーブとは、この手紙を読んでいるローマのキリスト者と考えられます。接ぎ木というからには、本来あった枝が切り取られて、捨てられた枝があります

教会は「新しいイスラエル」といわれます。それに対して民族として連綿と続いてきたイスラエルとは「古いイスラエル」です。国家としてのイスラエルは現実の歴史の中で教会に飲み込まれるのでなく、「古いイスラエル」として存在し続けます。それに対して教会は「新しいイスラエル」として接ぎ木されたのですが、「古いイスラエル」もここに存在し続けます。現在のイスラエルにおいて、イスラエルがパレスチナと、いかに平和を分かち合って歩んでいくのか、今はパレスチナ人の苦しみを土台にしてイスラエルはパレスチナを飲みこんでゆく絶望的な状況といえるほどです。しかしそれは必ず解決してもらわねばなりません。しかしなぜそこまでイスラエルが固執するかといえば、2000年流浪の民として歩み、さらにはナチスヒトラーに600万人もの人々がガス室で虐殺された事実があります。しかしそうして全ヨーロッパを流浪しつつ、ユダヤの人々はヨーロッパ全体で迫害を受け、差別され、ゲットーに押し込まれ、困難に見舞われていったのです。イスラエル問題を見つつ、人間がいかに罪深い存在であるのか。ユダヤの人々がいかに困難な歩みを強いられたのかは、ヨーロッパの歴史に刻まれています。

しかし同時に、旧約聖書を読むときに、イスラエルは神に選ばれた選民ではあるが、それを誇れるような選民らしいところなど全くなく、その過去は失敗と悲惨の歴史といってよいと思います。そうして人間を見つめる視点が定まってこそ、イエスキリストが来られねばならなかった意味が分かります。

19世紀から20世紀を経て、科学や技術は確かに大発展を遂げました。その間に世界大戦を2度も行い、第一次大戦では死者1千万人、第二次大戦では5千万人の死者を出したといわれます。二度と戦争を行ってはならない。国連が創設され、国連ビルの礎石にイザヤの言葉が刻まれました。
「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣をあげず、もはや戦うことを学ばない。」(2:4)

日本では平和憲法が作られ、
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するために、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」(憲法9条)

母親達は二度と子供たちを戦場に送るまいと決心したのです。

しかしながら、現代の世界や日本の政治状況はそうした日本国民の初心を、相当に裏切っているような思いがします。

2008年から2009年にパレスチナ自治区のガザにイスラエル軍が侵攻して1,400人が犠牲になった出来事がありました。東京でもこれに抗議する緊急集会が代々木公園で行われ私たち夫婦も参加しました。まさにイスラエルの爆撃の渦中のガザからの中継が行われ代々木公園で私たちはガザの人文字を作って爆撃に抗議しました。この侵攻で亡くなった1,400人のうち300人が子供たちでした。日本人女性が、そのイスラエル軍の侵攻で、親族29人を殺された一人の少年を主人公にしたドキュメント映画を作りました。彼は毎朝顔を真っ黒な泥を塗ってほかの子供たちを驚かします。その侵攻の朝イスラエル軍の兵士は、顔を真っ黒に塗って村に押し寄せたそうです。彼はその朝の出来事を一枚の絵に描きます。住宅の中に何本もの矢印が描かれています。やがて矢印は村の中央の家で指し示します。村人は大きめの家に閉じ込められ、外から銃撃され、この子の親族はなくなったのです。そして最後にこの子が言います。「僕はここで友達をおどすためにこういうことをしているのではない。ここで何があったかを、忘れずに周りの人々に知ってほしいからだ。」

軍隊が侵攻するところでは似たようなことがしばしばおこります。かつて旧日本軍が軍事作戦を行った韓国や中国でこうしたことが行われました。ただ繰り返し行われるイスラエル軍による同様な事件は、かつてナチスドイツによる絶滅計画によって600万人もの同胞を迫害によって失った当のユダヤ人が、今度は迫害する側に回っている悲劇です。

人間とは歴史に学べない存在と言うことを改めて意識させられます。それでいいとは少しも思っていません。ですからパレスチナとの平和と和解をすすめようとするイスラエルの人々も多くいるのです。けれど政治家は人々の支援や票を求める結果、往々にして人気取りの極端な強硬な発言や行動に駆られるのです。

それではイスラエルが神の民として再生する希望など、どこにも見えないではないかと言うことになります。ところがパウロが書きつらぬいているのは人間の混乱の歴史を越える神の主権です。神が歴史を導き、歴史を作られるのです。ですからここはパウロによる神の賛美の言葉です。
11:36「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が永遠にありますように。アーメン。」

人間的な見方をすればイスラエルが接木され、本当の意味で神の約束の民、選ばれた民になる可能性はこれらの光景からは見えにくいのです。それは全くありえない不可能な出来事にしか見えません。しかし、パウロは、あたかもそれがすでになされたかのように、神への頌栄・賛美の言葉として、結論を先取りするのです。

今朝私たちが受け止めるのはこのことです。

私たち夫婦は数年前、ドイツを訪ねました。その際ベルリンから1時間ほどのところに位置するライプチッヒをぜひ訪ねたいと思いました。そこは300年前にヨハン・セバスチャン・バッハが務めたトマス教会と、ドイツのみならず東ヨーロッパの自由化のきっかけをもたらしたニコライ教会という素晴らしく美しい教会があるからです。

このニコライ教会で1980年代に自由と民主主義がもたらされるためにと、月曜日に青年たちによる祈祷会が行われていました。そして祈祷会のあと、徒歩で10分ほど離れているトマス教会まで、青年達は平和の行進を毎週行っていました。外には特殊警棒をもった重武装の機動隊が警戒し、時に遠慮会釈なく殴りかかったり、逮捕もあったのです。ある日、牧師は青年たちに石をもってくるように予告しました。講壇の前には花が置かれ、暴力をもたらす石を手放して、その代わりに花を手に取るように言ったのです。初めは来る週も、来る週も十数名だった。ところが参加者は見る見る増えていった。やがて参加者は、何十人かに膨れ上がりそれが、何百人、何千人、何万人。ついにデモ参加者は10万人を越えるようになった。ライプチッヒ市当局もそれは無視できない数になり、高名なライプチッヒ・ゲバントハウス・オーケストラの指揮者であるクルト・マズアが仲介して市政府が動き、ボンヘッファーハウスというところで協議が行われた。そしてハンガリーとの国境が開かれることが認められた。やがてそれはベルリンに飛び火し、ドイツが統一され、ソ連が崩壊した。当時ゴルバチョフの側近だったヤコブレフというロシアの政治家が、われわれは眼に見えない力に操られているとさえ言いました。なんと青年たちの勝てるはずもない祈りの行動がヨーロッパの半分を変えるきっかけとなったのです。キリスト者は目に見えないものに目を注ぐのです。

今の日本政治はどこに向かっていくのだろうかと心配しています。

けれど私たちは「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。」(マタイ6:33) という主イエスの言葉に、もう一度目をとめたいのです。「まず」とは今日、この日曜日のこの礼拝で心に留める言葉です。神と共に歩もうとする私たちから、われわれを引き離すものなど何一つありません。たとえそれがどんなに起こるはずがないと見えることでも、私たちは信じていい。いな信ずべきなのです。神の領域の出来事は、最初から人間の目に見えにくいのです。だからこそ・信じること・信仰が必要なのです。

(2020年10月04日 礼拝メッセージ)

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