捧げる心
コリントの信徒への手紙二 8:1-15
使徒パウロがこの2コリントの手紙を書いたのは、いくつかの動機がありました。コリントはそも大変繁栄していた町で、教会自体も豊かだったと思われます。しかし教会が単に豊かであるだけなら、それはそれで一つの問題であり誘惑です。教会こそ率先して他者犠のために活きる場所であるからです。しかもコリントの教会は、教会内に分裂・分派闘争が起こり、その受け道徳的にはキリスト教会とは思えないほどの退廃や教会の混乱もありました。パウロはそのコリント教会にむかって、いくつかの厳しい叱責を伴った手紙を書き、指導を試みなければならなかったようです。そしてやっと嵐は過ぎ去り、慰めと励ましに満ちたこの手紙を書きました。教会は新たな出発を歩みだすことができたのです。パウロはコリントの教会に向かって、教会という存在は自分の属する教会がみちたりて、財政的にも、奉仕や人材においても、自己充足できれば、それでよいとは言いませんでした。教会は自己保存的に生きるだけであってはならないと語りかけます。教会は自立するだけでも大変なのです。しかしそれだけならさほど遠くない将来に、じり貧になるでしょう。教会は貧しい人々をその視野に納め、貧しい教会を助けるべきであると、パウロは考えていました。
当時、あのペンテコステの出来事からスタートしたエルサレム教会は、困窮し始めていました。エルサレムは港湾もなければ、産業もありません。周辺に地震や飢饉があり、反ローマ感情も高まり、人心は混乱しつつありました。エルサレム教会は困難な立場にあり、教会の人々は困窮していました。
マケドニア(北ギリシャ)の人々は献金を集め、パウロに託してエルサレムに届けようとしました。1節の「マケドニヤ州の諸教会に与えられた神の恵み」とは具体的には献金を指します。
マケドニヤ州の諸教会とはフィリピやテサロニケの教会が含まれます。そしてコリントの教会も、いわば「受けるより与えるほうが幸いである」とするイエスキリストの精神を実現しなさいとパウロは進めます。
この箇所は現代の教会では献金の進めとしてよく説教されるところです。パウロはエルサレム教会への財政支援が直接の動機だったのですから、それはそれでわからないことはないのです。しかしそのことを目的にしつつ、ここでの中心聖句は9節にあると思われます。
「主はゆたかであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは主の貧しさによって、あなたがたがゆたかになるためであった。」
これはイエスキリストの出来事です。パウロは単純にエルサレム教会が大変だから、献金しようとは言いません。キリストを見つめること、キリストの事実に目をやること。そこから現実の問題は乗り越えられていきます。困窮も、財政もそこからしか解決のめどは与えられないのです。
かつてマザーテレサがノーベル平和賞を受けました。(1979年)
インドは、やがて日本の経済力を越えようとしているといわれます。今はかつてのインドではなくなったようです。しかしマザーテレサが関心を寄せた頃のインドは今とは違いました。マザーテレサは今で言うとコソボ(旧ユーゴ)のアルバニア人です。生まれた頃はオスマントルコ統治下ですから、複雑な政治的、人種的状況下で、つらい立場を深く理解していたと思われます。19歳のとき(1929年)、インドのカルカッタにある修道会の経営する高校の校長になります。けれどマザーテレサ37歳のとき(1946年)、避暑地に向かう汽車の中で、「もっとも貧しい人々の間でキリストに仕えるように」と内なる招きを聞くのです。それから2年間、修道女として修道院の外で働く許可を得て、カルカッタのスラム街に入って行きます。スラム街で子ども達に読み書きを教える学校を始めます。 最初は5人。やがて教え子達がボランティアに加わり、「子どもの家」と呼ばれていた施設が「死を待つ人のホーム」に変わって生きます。当時インドでは路上で助けもなく寂しく死んでいく人が少なからずいたのです。その人々を連れてきてヒンズー寺院の隅で最後の言葉を聞き、死を見取って、その人が望む宗教で葬儀を挙げてあげたのです。さらに駅の無料診療所、精神障碍の人々のホームがつくられ、やがて神の愛の宣教者のメンバーは4,000人を越え、123カ国、610箇所の施設を持ち、ホスピス、HIV 患者の病院、ハンセン病施設に広がり、1997年87歳でなくなったとき、インドで国葬が執り行われた。インドで首相、大統領以外で国葬がされたのはただマザーテレサ一人だったそうです。
以下はマザーテレサの残した言葉です。
愛の反対は憎しみではなく、無関心。
ノーベル平和賞授賞式でのスピーチ
この世で最大の不幸は戦争や貧困などではない。
寧ろそれによって見放され、“自分は誰からも必要とされていない”と感じる事。
銃や砲弾が世界を支配してはならない。大切なのは愛である。
日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります。
私は受賞に値するような人間ではないけれど、世界の最も貧しい人々に代わってこの賞を受けます。
マザーテレサの修道会に入るには10年間の段階を経るのだそうです。そして最後に「一生この仕事を続けます。」と誓い、終生請願をして会員になるのです。その請願式のときマザーテレサは、「あなたがたの使命はソーシャルワーカーという職業を生きることではありません。貧しい人々と共に生きて、貧しい人を愛することです。それは職業でなく、あなたがたの選んだ生き方そのものであり、あなた自身を捧げることです。わたしたちは貧しさの中にこそ、喜びを見出すのです。」
思いやること、分かち合うこと、そうした思いは今の日本では痩せ細る一方です。
パウロが「主はゆたかであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたがゆたかになるためだったのです。」
主が人間の形をとり、肉体を取ってこの世界にお出でになったこと。クリスマスの事実。イエスは御自分を与えつくしてくださった。フィリピ2:7「かえって自分を無にして」
<あなたがたのために貧しくなった>主は貧しくなった。「あなたがたのために」とあります。これはあなたがたが分かち合う心がないから、自分のことしか考えないから、むさぼる心しかもっていないから、主は自らを捧げきって、貧しくなったのだと説明されます。
私や皆さんがキリスト者としてできることは、ほんのささやかなことでしかない。その上わたしなどは小さな器でしかない。でも、もしこの小さな存在であるわたしが、ほんのわずかでもキリストの光を照り返し、一瞬でもそこにキリストの輝きを示すことができたら、それは相手に向かって大きな出来事につながるだろう。キリストのように、奪うことでなく与えることを、依存するのでなく支えることで、愛されることでなく愛することで、キリストを示すことができたら、それは伝わる。そうした共同体がここに出来上がったらと、切に願います。
(2021年06月20日 礼拝メッセージ)