カテゴリー: 週報の裏面

その人の残像

私たちはそれぞれに由木教会で教会生活を歩んでいます。初めから由木教会でキリスト者としての歩みを始めた人もいますし、他の教会で長い教会生活をして、今は由木教会でその歩みを進んでいる人もいます。でもそれぞれの人の歩みは神の御計画と導きの中で起こっていることです...

人を召される神

こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして捧げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。 ローマの信徒への手紙 12:1 人が有能であってもそうでなくても、金銭に恵まれていようと...

全世界に出て行って・・・

その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をお咎めになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを信じなかったからである。それから、イエスは言われた「全世界に行って、すべての造られたものに福音をのべ伝えなさい。信じて洗礼を受...

まだ負けではない

この数か月基本的に木曜日の夜は国会議事堂前に出かけて、戦争法案反対の請願に出かけていました。特別なことがあれば別にも出かけることにしていた。終わったわけではありませんが今のところ20回を少々超えたところです。もし日本政府が企てるようにこれが実行に移されれば...

主イエスにであう

イエス・キリストの十字架の道行きは<ヴィア・ドロローサ>-悲しみの道ともいわれる苦難の道でした。徹夜に及ぶ裁判そしてローマ総督ピラトとヘロデ王の前に引き出され尋問され、やがてそれだけでも死に至るほど残虐な鞭を打たれ、人の体重ほどもある自らが釘づけになる十字...

キリストの愛に生かされて

ヨハネは「神は愛です。」(1ヨハネ4:16)と言いました。ヨハネの目を通して見えたイエスは、まさに愛そのものでした。それは価値なき者、反逆するもの、裏切るもの、不信実なものに、豊かに許しと命を注ぎ込む愛、そしてそれはイエスの十字架において頂点に上りつめる愛...

戦後70年の記念日を迎え

今日は8月16日。終戦時、私は一歳にもなっていない赤ん坊だった。樺太からの引揚者。親が軍にかかわっていたからこそ無事に帰還できた。でも同じ年ごろの子供たちで、樺太に置き去りにされた人、あるいは亡くなった子供たち、どれほど多くいただろう。韓半島から連れてこら...

ローマ雑感

長女に会うために今回はある事情からローマに行くことにした。宿はたまたま日本人女性が取りしきる破格に安いB&Bを連れ合いが見つけて、10日ほどお世話になることになった。場所はローマ・テルミニ駅から数分のところにあります。今回のローマでまず驚いたことが...

親子のだんらんを戴き感謝します

1-2か月前から、長女との連絡が、こちらからの一方的な連絡はしているものの、向こうからのレスポンスがなく、しばし途絶していました。イタリア滞在17年の彼女のことだから、何かあれば連絡があるだろうし・・・さして案じる必要はないだろうと思うことにしていました。...

宗教者の心は温かい

親しい友人で、とても若いというわけではないが、今年按手礼(正牧師)になる手続きを受けて、埼玉県にある教会で、生き生きと牧会伝道を続けている牧師がいます。彼の労する教会は、彼が赴任するまえ、ほとんど集まる人もないほどだったのです。ところが彼の信仰の思いは神に...