心の在り処

まずは、ロシアの作家オセーエワの童話より。

「一匹の犬が体を前にかがめて、はげしくほえています。そのすぐ鼻先に、垣根にピタリと体を寄せて、一匹の小さな子猫が毛を逆立てて震えています。かっーと口を開けて、ニャーオ、ニャーオと鳴いています。すぐそばに二人の男の子が立って、これからいったいどうなることかと見ていました。2階の窓からそれを見つけた女の人が、飛ぶようにして駆け下りてきました。女の人はすぐさま犬を追い払うと、男の子たちを叱りつけました。『あんたたち、恥ずかしくないの!』『どうして恥ずかしいんですか? 僕たち、何もしてませんよ。』男の子たちはびっくりしたように言いました。『だから、悪いんですよ!』女の人は、真っ赤になって怒って言いました。」

何をすべきか、何をすべきでないか、そうした事柄は教科書を読んで覚えてどうなるものでもないと思う。実際の毎日の生活の中で、それこそ臍を噛むような思いをしながら、身に付けていくものに違いない。

次は一読、心に残ったある新聞の投書欄から。投稿者は岐阜県在住の女子大生。

「先日、サークル活動で遅くなり午後11時近い岐阜発美濃太田行きの電車に乗った。車内で突然、後ろのおじいさんが意味不明の言葉を発し始めた。声があまりにも大きかったので、私の隣に座っていた男性が「うるさいから静かにして下さい」と注意した。おじいさんは男性に近づき「うるさい? あんただけだよ」とけんか腰になり、互いに「やるか」と言い合った。私の体が硬直した。
その瞬間、青年が前に現れた。青年は、男性に目で合図しながら席を替わって、おじいさんをなだめた。「おれはうるさいか」というおじいさんに、「おっちゃん、ええ声しとるから皆にきこえてしまうんや」「おれは、ええ大人がけんかしとるの見ると悲しくなるんや。世の中皆、ええ人や。おれは、嫌いな人はおらんよ」と穏やかに語りかけた。おじいさんも落ち着きを取り戻し、「おれが間違っていた」と反省した。車内の雰囲気が和み、降りる人々が青年に「ありがとう」と声をかけていた。私は、気持ちがとても温かくなった。」

自分の持っていないものを持っている人を見ると、あるいはそうした人の存在を知ると、心底かなわないと思う。誰もが関わりたくないと思う状況に、その人を絶対的に信頼して介入することで、見事に場を納めてしまう度量。それを目撃して、ただそれだけに終わらせること無く、新聞に投書することで、その小さな出来事を世の中に伝えようとした人。

「いかに幸いなことでしょう。あなたによって勇気を出し、心に広い道を見ている人は。」

詩篇84:6

五十嵐 彰 (2010年07月11日 週報より)

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