平和が生きるところ

「力にものを言わす」ありかたが最近人の心を占めつつあるのでしょうか。銃やナイフを使用する事件が世界で起こっています。個人が武器を使うことですらこれほどの犯罪につながりますが、国家が武器を大量に使う戦争は途方もない犯罪です。しかし、国を守る主たる要件は、軍事力の強化であるとする考え方が当然のような受け止め方が、人々の心を占めつつあります。国際間の紛争に軍事力を用いることが許されないわが国が、世界で常に五指に入る軍事費を使っていることはなんとも不思議です。幼いころからアメリカ兵を見なれていたわたしが彼らを見て、不思議な感覚を持っていました。彼らの持つ装備は、自動小銃、ジャックナイフ、ピストルは少なくともあの時代の日本においては過剰な武装でした。そして、それらはすべて人を殺すための道具でした。
軍隊の機能の一つが平和維持活動といわれます。しかし過剰な武装で効率よく多数を殺傷する道具を持つのも軍隊です。かつての日本軍が朝鮮や中国で引き起こした数々の虐殺事件は、なお現代の日本のイメージに影を落としていま す。

「平和は武力では築くことができない。」わたしはこの当然の事実を、イラクの現状をニュースで見るたびに感じています。「平和を作り出す人たちは、幸いである。」ほかならぬイエス・キリストの言葉です。武器で平和を作り出すことなどできないのです。人間の内面の平和。心の平和をもつ人こそ、平和を作り出す人なのです。ヴァージニアの銃乱射事件を引き起こした青年は、理由のない不安から来る他人への憎悪と反感が、彼に銃を取らせたといわれていました。武器はあやしく、これを持つ人の心に働きかけ、犯罪に人を駆り立てるのです。

教会の歩みの中で、治癒不可能な病気や解決の見えない苦難に直面した人々が、人間として当然いらだちや、怒りの感情に駆られるような状況に直面しつつも、驚くほどの平安を保ちながら、現実を受け入れる姿にふれることがよくあります。<平和の神>を人が信じ、受け入れるとき、人の心は驚くべき変化を遂げるのです。人間とは、かくも不思議な存在です。一方で、健康で、知性も若さありつつ、心は不安と他者への憎しみにあふれる人がいるかとおもえば、他方、死が避けられない困難な病気をかかえつつ、微笑と平安な思いで心満ちて、日々を送る人がいます。

信仰に心開かれると、見える世界がちがってくるのです。人はいだく必要のない茫洋とした不安感に支配され、ついにはそれにこころ打ち砕かれて、しばしば崩壊していきます。他者や他国を力で踏みつけても、強くなろう、幸せになろうと目指す中で、いまあらためて、本当の平和とは神が与えるもの、主にある交わりの中で真実に 生きるものであることを思わずにはおられません。

(2007年04月22日 週報より)

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