神が臨むとき
わたしが生きてきた時代は、何の変哲もない普通のときを歩んできたような気がしますが、よく見ると決してそんなことはありません。一度も訪ねたこともないアメリカのアラバマ州で黒人の公民権確立のために戦ったマーテイン・ルーサー・キング牧師の言葉と行動は、若き日のわたしに忘れられない影響を残しています。1968年テネシー州で銃弾に打ち抜かれて亡くなったときには、家族の誰かがなくなったほどの悲しみを覚えたことをまざまざと思い出します。
キング牧師の運動を真っ向から阻もうとした人物、当時のアラバマ州知事ジョージ・ウオーレスのその後のことが最近しばしば伝えられ、映画にさえなったのです。彼は1998年9月13日にキング牧師がバスボイコット運動をしたバーミンガム市の病院で亡くなっています。彼は徹底した黒人差別主義にたって、キングをはじめ、公民権推進を図る人々を弾圧したのです。キングの牧会する教会は数度にわたって爆弾を投げられ、日曜学校に来ていた子供たちが殺害されもしました。このとき幼かったライス国務長官の友人が犠牲になったと伝えられています。
いわゆるKKK団といわれたキュー・クラックス・クランの暴力活動もはげしく、ミシシッピ州では北部から来て、黒人の子供たちの家庭教師をしながら公民権推進を図る学生たちが、車ごと焼かれ、沼に沈められ、発見されるなどの事件が起こりました。こうした事件が判明すると、しばしば警官が犯行にかかわるケースが多かったのです。ウオーレスは連邦政府、最高裁判所さえ違法と明言する黒人差別を、徹底して押し通そうとします。あくまで分離・差別を主張し、知事就任演説では「今日も分離、明日も分離、永遠に分離を!」と叫んだのでした。
しかし、1972年ある白人男性から狙撃され、車椅子生活者となっていたウオーレスは、突然1981年になって、それまでの分離差別を180度転換します。その日、知事の公邸から目と鼻の先にある、すでに銃弾に倒れた、かつてのマーテイン・ルーサー・キング牧師が牧会していた、デクスター通りの黒人バプテスト教会に出かけます。夕拝の席で、ウオーレスの来会を喜んだ人はだれひとりいなかったでしょう。牧師の説教中、彼は車椅子のまま、講壇の下に進み、全会衆に向かってそれまでの誤まった生き方を告白して、そこに集まっていたすべての黒人のキリスト者と、すべてのアメリカの黒人に心からの許しを涙ながらに乞うたのでした。はるか太平洋のむこうのわたしでさえ、新聞を読みながらあまりのウオーレスの不当さを怒っていたくらいですから、ウオーレスの悔い改めと謝罪は当然といえば当然です。
しかし人間は、特に地位のあるこうした人がそうそう鮮やかに、変わりうるものではないでしょう。非暴力と敵を愛する愛に生きることをモットーとした教会員は、ウオーレスの謝罪を温かい心で受け入れたそうです。ウオーレスは奏してすべての黒人アメリカ人と一人の人間として向かい合うことができたのです。かつて教会の最大の迫害者だったサウロが、神に捕らえられて宣教者パウロに変えられました。神はいつの時代においても、人を造りかえることができます。
個人においてこうしたことがかなうなら、歴史を歪曲して、ますますアジアの人々との距離をつくりだす現代のわれわれ日本人が回心することがあるのでしょうか。歴史の問題を正しく受け止めなおすことなしに、日本人がアジアの民と連帯し、心つながれるときはますます遠のいていくのではと憂います。
(2007年04月01日 週報より)