平和への祈り

わたしたち夫婦は休暇をいただいて、オーストリア、イタリアへの13日間の旅をさせていただきました。往復の二日は飛行機の移動ですので実質11日、そこに身をおいて、空気を吸うだけでも深い感動につつまれるような思いがありました。教会や宮殿を見、音楽を聴き、あらたに出会った人との新鮮な心はずむ交わり、地元の特産物を食べることの喜び。忘れがたいたくさんの思い出が刻まれるときでした。

けれど、どの土地でも、ヨーロッパらしい記憶し続ける文化を感じました。日本では戦争の記憶は薄くなるばかりです。けれど今回たずねたところでは控えめながら、決して忘れまいとする姿勢がどこかに刻まれていました。

ザルツブルクはわたしのようなオーストリア好きには、夢のように美しい町です。機会があれば何度でも訪ねたいと思うほど美しい町です。 特にその大聖堂は生まれたばかりのモーツアルトが洗礼を授けられたとされる気品ある優雅な建物です。しかし聖堂付属の博物館に立ち寄ると、この大聖堂が1944年に空襲でかなり破壊されたことが悲しげに説明されています。(わたしにはそう感じ取られた。) 再建には15年も要した。 そのうえ8世紀から存在しているこの教会には、長い歴史の中に蓄えられた宝物がたくさんあったが、戦後、その多くの宝物が持ち去られたと添え書きされておりました。つまり連合軍によって奪い去られたと言うことなのでしょう。

ザルツブルクからインスブルックを訪ねました。町を代表する聖ヤコブ教会という壮麗な教会があります。大聖堂といわれる教会に入ると何もかも反響し、共鳴し、独特の音、雰囲気をかもし出します。しかしこの教会の入り口近いところに一人の神父の絵が掲げられていました。この方は1930年代の後半に、神父としてこの教会で司牧活動をなさっていた方です。1938年から二つの強制収用所をたらいまわしされて、1940年になくなったと小さな説明文があり、説教の中で、当然のナチズム批判、ヒトラー批判を行ったと推測されます。その上この教会も1943年12月に爆撃を受け主祭壇や丸天井が破壊されたとのことです。

あちこち回って、長女のいるイタリアの小さな、小さな村、トレイソにたどり着いたのです。丘が重なり合うような地形に、見渡すかぎり地平線までよく手入れされたブドウ畑が、実りの時をむかえています。宿泊先のアグリツーリスモの農家は、やはり広いブドウ畑を持っているワイン醸造家のお宅でした。一帯は収穫が始まって大型のトラクターの荷台いっぱいにブドウが積まれて運ばれています。ここはバロロ・ワイン、バルバレスコ・ワインとして、ワイン通にはよく知られているところと聞かされました。顔が合うと外国人のわれわれに、向こうから<ボンジョルノ>と挨拶される平和な町です。見渡せばワイナリーと、教会が点在し、はるか遠くにはアルプスが聳えています。
ところが町の中央というか、レストランのすぐ傍に、数十人、あるいは百人を越えていたかもしれませんが、フルネームが刻まれた平和の碑が高く掲げられているのです。 碑文の中に<レジスタンス>と書かれています。つまり当時イタリアを席巻したファシズムに反旗を翻してレジスタンス運動に身を投じて、犠牲になられた方々の名前だと推測しました。

小さな町の大きなレストラン<ラ・チャウ・デル・トルナベント>にはヨーロッパ中から人々が集まっているようでした。ヨーロッパの統合を目の当たりに見るようでした。過去を記憶し続けるとともに、国籍などどうでもよいように、われわれにも道を聞いてくるイタリア人に統合の現実をまざまざと感じさせられました。
ひるがえって以前とは隔世の感はあるけれど、まだアジアにおいて、日本人がなんのわだかまりなく受け入れられるとはいえないだろう。こちらは忘れかけても、アジアの各地に日本の過去を厳しく見つめる人々はまだまだ多いはずではないでしょうか。過去があって、そのうえに今があります。過去を覚えてこそ、未来がひらけてくる。そんな思いが心によぎったことです。

(2009年09月20日 週報より)

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