晩年の駆け足

私の母は1男7女の長女で、15年前に92歳で召されました。 
6女は私より8歳上の姉の如き存在で、ホーリネス教団の新井キリスト教会でイエス・キリストを救い主と信じて10数年を過ぎましたが、肺炎を患って以降、体調が回復せず、心不全のために去る6月9日に召されました。享年94歳でした。昨年のクリスマスは一緒に礼拝し、別れるときに「次は何時来れるかな?」と聞く程、彼女は共に礼拝できるのを待ちわびていたのです。 
彼女は、疑問に思うことは何事も調べ尽くす性分でした。キリスト教についても然り。若いころから聖書に接し、教会へも行くように勧められた筈です。しかし、持ち前の理屈で論破するなどして断ることが多かったと思います。しかし、晩年になって、兄弟や親族の死別に遭遇し、自分の生き方を見つめ直すことになり、私の母の入信への勧めにも耳を貸すようになったと思います。母は、自分の姉妹にイエス・キリストを救い主と信じてほしいと願って頻繁に手紙を書いたりしました。88歳の時に、大動脈弁狭窄症を患い、余命3年半と告げられてから、兄弟姉妹に聖書を10冊買い込み、神様を信じてほしいと書いて其々に送り届けました。6女から「信じる」と聞いて母は嬉しくなり、彼女への手紙を次のように書きました。 

「さっそく教会の様子を知らせて下さって有難う。大変嬉しく思いました。良い教会のようですので、忙しくても礼拝に出席して下さいね。私はとても嬉しく、安心しました。神様はあなたを守って下さると思います。『汝ら我を選びしにあらず、我なんじらを選べり』(ヨハネ15:16)という御言葉があります。私はもう終わりの時が近づいていると思うので、一日も早くイエス様を信じてほしいと思うのです。その気になって下さったことは、何にも代えられない嬉しいことです。貴方のことをずうっと祈っていました。体を大切にして頑張ってくださいね。では又。」  

それから間もなく、母が突然死により召され、親族が葬儀に参列して、控えの間にいる時のことです。彼女(6女)が妹さん(7女)と共に私の処に来て「私たちも教会に行く事にしたからね。あなたのお母さんの生き様と今日の葬儀にも感動したのよ」と言われ、私も感動しました。 
母の葬儀の後、数か月経て、新井キリスト教会で彼女と共に礼拝を捧げました。水間先生ご夫妻とご挨拶を交わした時、「羽生さんのことは私たちが見守って参りますから、ご安心ください」と言われました。彼女の教会との深い繋がりを覚えて感謝しました。 

5月の中頃でした。彼女が急に体調を崩されて入院されたと聞いて驚き、中野共立病院に見舞いました。入院加療するも効無く、6月7日には厳しい手術にも合意しました。病床では水間町子先生が詩篇の23編を開いて下さり、共に読み、祈り、安らぎを得ました。すなわち、『誠に、私の命の日の限り、慈しみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住みましょう。』
それから二日後に主のもとに召されました。 
聖書に「私たちの住まいである地上の幕屋(即ち、肉体)が壊れても、神が下さる天にある永遠の住まいが用意されている」(第2コリント)とあります。彼女は、この約束を信じて晩年を駆け足で進み行かれました。牧師ご夫妻と教会の皆様の祈りと主に在る愛の営みに感謝するとともに、このことを成し給うた主を崇めます。 

安良 修 (2023年11月5日 週報の裏面より)

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