信仰に生きる
こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえとして献げなさい。これこそあなたがたのなすべき礼拝です。
ローマ12:1
8月にはいりました。今年の7月の天候は例年とは違いました。例年の7月の模様は20日過ぎの梅雨明けまではジトジトと雨模様の日が多く、時折は梅雨寒の日が訪れます。ところが今年は7月に入る前から、厳しい暑さが照りつけました。照りつける日差しで、体力を消費しました。そもそも人は<お天気屋>なのです。暗い冬から、春の日を仰いだだけで、幸せな気分に包まれたり、うち続く雨で気分が暗くなります。こうした激しい天候の中で、心が暗くなったり、明るくなったりします。最近では<政治や経済の天気予報も>荒天がらみです。昨日は円高が昂進して、瞬間的に1ドル=85円と伝えられました。現実の異常気象以上に、政治・経済も<異常気象>に踏み込みつつあるのでしょうか。
冒頭の言葉を残してくれたのは使徒パウロです。礼拝と神への献身を勧めたパウロが生きた時代は、キリスト者と教会にとって、現代世界以上に困難な時代でした。この手紙を受け取ったローマ市のキリスト者の上に君臨していたのは皇帝ネロでした。彼の統治はAD54年から68年です。その間、悪政と退廃の限りを尽くし、ローマ市を自ら放火して大火をおこし、それをキリスト者の仕業として残虐な迫害を行ったのです。この手紙の発信者であるパウロも教会の指導者であったペトロも、ネロによって処刑されたといわれます。
迫害と殉教の嵐吹くローマ市で、パウロもローマ教会員も、伝道がつらい状況だとか、教会は問題の渦中にいるとは語りません。一方に、背教や自暴自棄に陥る教会員もいたに違いない状況で、教会の大勢は、冒頭のみ言葉に立っていきました。無論迫害が身近になればこれを避けるように、ローマ市を後にした信徒たちも、多くいたでしょう。しかしその人々は、逃れた先で伝道を担っていきました。ときに皇帝による迫害が、民衆の好む流血ゲームとしての見世物として、皇帝の人気取りとして利用されることさえ起こりえました。
しかし福音は奴隷、市民、貴族、兵士の中に深く浸透していきました。皇帝の気まぐれで、社会が激しく動揺していく状況の中で、人々は何にも動かされない平安を与える福音に心を動かしていきました。冒頭のなすべき礼拝を英語の聖書では<合理的な><知性的な>と訳しています。人は理性的な存在のはずですが、時にその理性は大きくねじまげられたり、偏向するのです。人の生まれながらの合理性は、神によっていったん変えられねばならないのです。
パウロとローマ教会がおかれている立場を単に、政治的・社会的視野からのみ見ていたら、将来への見通しは全く見えない暗黒な状況が支配していると思えたでしょう。けれど、パウロの目には、ローマ帝国自身が、福音によって作り変えられることを見ていたのです。ですからこの手紙には暗さの片鱗も見えません。むしろローマ帝国がキリスト教国となったあと、教会がいかに権力から身を遠ざけることが出来たかどうかが問題でした。
(2010年08月01日 週報より)