記憶し続けること
劇場で映画をみることは、1年に数回あるかないかという程度の私ですが、ときおりこれは是非、見なければと思いで出かける映画があります。先週「あの日あの時 愛の記憶」というドイツ映画を見ました。そういえば私の観た映画はポーランドが物語の舞台というものが不思議に多いのですが、この映画のかなりの部分はポーランド・アウシュビッツ収容所で出会った男女の生涯の物語―実話です。
1944年といえばわたしがこの世に生を受けた年ですが、この時ポーランドで反ナチ活動をしていたポーランド人トマシュは、政治犯としてアウシュビッツで囚人でした。アウシュビッツ収容所において、まず最初に送り込まれた人々は政治犯だったようです。むろん圧倒的多数の囚人はユダヤ人です。収容所内で男女は厳しく区分され、きびしい管理が行われていたはずですが、トマシュはユダヤ人女性ハンナと運命的な愛に落ちるのです。ことによると1944年といえば東部戦線でドイツ軍はロシア軍に対して敗北が決定的になり、収容所の管理も手薄な部分が多くあったからかもしれません。
命がけの脱出に奇跡的に成功し、2人は短期間ですがトマシュの実家に身を寄せるのです。通常脱出者の実家など身を寄せるには最も危険な場所であるはずなのに、ゲシュタポもSSも2人を捕えることは出来なかった。ただトマシュは再びポーランド義勇軍に身を投じ、ハンナはドイツ・ベルリンを経てアメリカにわたります。つまり2人はやむなく離別してしまうのです。戦中、戦後の混乱の中の出来事でした。
ハンナはやはりホロコーストを行きぬいたやさしいユダヤ人の男性とニューヨークで結婚し、幸せで満ち足りた生活を送っていた。ところが・・・1976年のある日、たまたま立ち寄ったクリーニング店でつけっぱなしのテレビのインタビューに登場していたのは、今は白髪となっていたトマシュだった。ハンナはひと目でトマシュであることを確認します。
そこから一度はあきらめかけていたトマシュ探しが始まります。1976年といえばポーランドはまだまだきびしい鉄のカーテンに閉ざされた時代でした。ハンナによるトマシュ探しは困難を極めたに違いない。けれどアウシュビッツ脱出以来39年目、実はこの年のちのポーランド大統領になる労組<連帯>の指導者レフ・ワレサがノーベル平和賞を取った年でもあります。ハンナは夫の許しを得て、ポーランドのトマシュをたずね、感激の対面を果たすのです。映画はそこで終わります。トマシュはそのとき不在であった39年に愛をこめて、39本の赤いバラをハンナに贈ったそうです。
この2人の物語は、私が生まれて、成人するおなじ年代の物語―実話そのものです。ナチズムやアウシュビッツ収容所などは私の人生とは無縁の、はるか昔の物語ではなく、私の人生に平行する現実であったことをあらためて示すのです。ハンナとトマシュはその後15回ほどお互いの家を訪ねあったということです。この映画は原題は<Remembrance-記憶>という英語ですが、かなりの部分は英語で、そのほかポーランド語、そして収容所部分ではドイツ語が使われます。しかしあくまでドイツ映画なのです。ここで言う記憶はあくまで二人の愛の記憶を取り返す物語ですが、さらに根底に横たわるのはドイツ人自身が忘れてはなるまいとするナチズムとこれに関わってしまったドイツ人自身の記憶を確かめようとする思いです。過去の記憶の上に、私という人間が存在します。
(2012年08月19日 週報より)