和解と赦し

韓国と日本はかけがえのない隣人同士です。思えばわたしたちの教会にも韓国人の兄弟姉妹が5人もおられますし、牧師としてもお隣の蘇先生とミンニム先生は、親戚くらいの親友です。わたしたちは韓国料理も、イタリア料理同様大好きです。韓国ドラマにはまって韓国語の勉強を始める人の数も半端ではないでしょう。今は日韓の関係はそうした近い関係に立ち至っています。けれど、韓国に行けば、われわれの一世代まえの日本人の行った、人間の行為とは思えないほどの残虐行為の痕跡を、各地で目にします。
そうしたところには、歴史教育の一環として観光バスをつらねて訪ねる小学生、中学生の群れがあります。今回訪ねたマンリヒョン教会において、神社参拝を拒否して、かつて凄絶な拷問を通り、瀕死の中から生還された方がおられました。何を言っても取り戻せるはずはないけれど、わたしは謝罪の心を言葉に表わしました。その方、終始穏やかな笑顔で歓迎してくださったばかりではありません。わたしの説教に答えて、わざわざ講壇に登って、赦しの言葉を返して来られました。韓国教会は近代史の奇跡といわれるほどの隆盛を見ています。われわれ日本人が韓国教会から何を学ぶべきか、ということは単純ではないと思います。
日本のキリスト者が、韓国教会の成長の秘訣を学ぶために、そこから何らかのハウツーを引き出すなどということはありえないだろうし、何らかの方法論めいたものを文章化しても、それは何の役にも立つはずはないだろうと、わたしは思っています。韓国教会の現在は、悲劇に満ち た歴史の中で生成された韓国人の歴史的、宗教的、文化的所産以外の何ものでもないからです。「神社参拝拒否」一つとっても韓国、中国、台湾教会は明確な拒否を示したのに、日本においては組織的な教会の戦いとはならなかったと言われます。それは何らかの方法論の相違ではなく、それを信仰の課題として真摯に受け止めたか否かの相違だったのです。学ぶとすれば、途方もない虐待と拷問を経験しながら、なおうつくしい微笑をもって赦しを語りうる、その信仰のあり方を学ぶことが、第一でなくてはならないと感じました。

ソウルの西大門刑務所は日本支配時代、独立運動家たちに数々の拷問を加え、絞首刑を執行した場所です。ここで数知れぬ人々が死に追いやられ、その何十倍もの人々が爪をはがされ、強姦されたのです。これに関わった日本の官吏に思いをはせました。それは歴史に残る犯罪でした。それはつまり日本による帝国主義支配そのものが犯罪そのものだったということです。不思議なことに、直接手を下した官吏たちには、犯罪という意識は持ち合わせなかったようです。そう聞きました。彼らの意識はその逆でした。「自分らは、お国のために尽くしているのだ。」そう考えたのです。拷問を<国に尽くす行為>と受け止めるとき、残虐行為が正当化されるのです。そうして来る日も、来る日も、蛮行に手を染めることができたのです。愛国心が、人々の理性を狂わせたのです。
それは拷問吏だけではなかったといえるでしょう。当時の日本人全体が、教会も含めて、隣人である韓国の人々に加害的であったということに他ならなかったのです。西大門刑務所で、韓国の人々を虐待したのは、帝国主義を至上とする国家と、それを是とした日本人全体にあるといわねばならないでしょう。そして、わたしも他ならぬその一人の日本人です。あらためてあの出来事が過去の、自分からは無縁の出来事として、傍観者として立つ事は許されないことでしょう。

いじめの問題にもいえますが加害者という存在は、基本的に加害感覚を持ち合わせないのです。国を愛する気持ちといえば美しく響きます。右翼からは「日本から出て行け!」と怒鳴られますが、わたしもわたしなりに日本を良くしようと努力しています。愛国心にはそうした危険な側面があることも事実なのです。われわれは日本人である前に、神の国の市民です。神の国の市民であることこそが、あやまった愛国心を超克して、結果として日本を益するのです。
今わたしたちの教会には5人の韓国人の方々と1人の中国人留学生が加わっています。アジアの視線が、日本の教会に注がれています。われわれが日本人でなくなるはずはないし、そうする必要もありませんが、過去をしっかりと見つめ、アジアの教会とともに、神の国建設のためいっそう、手をたずさえて前進したい。あらためてそんな風に感じさせられた韓国訪問でした。

(2006年11月26日 週報より)

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