親と子
牧師の生活の仕方は、そうでない人々と少しも変わらない部分と、やはり違った部分があるのは当然です。人の生活の仕方は十人十色で、違っていて当然ですが、やはり牧師という特殊な働きのゆえに周囲の見る目が、ある部分違ってくるという一面があっても不思議はありません。牧師も牧師の妻も、それは当然として受け止めて生活をします。ただ、最近では牧師が牧師館に生活することは、以前に比べかなり減ってきた傾向があります。
一つには子育てをするうえで、牧師館は子供に一定の圧力がかかる場合があるからかもしれません。我が家の子供たちは当初開拓伝道のような状況で礼拝に10人来るか、来ないかという期間も長かったので、のびのびと、しかも優しい教会員の皆さんに囲まれ、さしたる圧迫感もなく歩んできたように思います。しかし人数が少なければ少ないなりの無言の圧力がかかることがあります。なぜ牧師はもっと人集めをして、自立できる教会の体制を築けないのか。人数のことが気がかりでない牧師は一人もいないでしょう。牧師の子供たちは何故洗礼を受けないのか? さらには、牧師の子供たちはなぜ献身して、神学校に行って、牧師にならないのか?
牧師の家庭でも、子供たちが成長するに従って、親に反抗します。子供の親への反抗。そして親離れは成長のあかしであるはずです。むしろそれを喜ばねばならないとさえいえます。しかし牧師家庭の場合、それは親離れ、イコール、キリスト教信仰からの離脱だってありえます。ですからケースによっては、牧師子弟の場合<親離れなし><反抗期ゼロ>という子供たちをときおり見るのです。牧師である親がそれを許さないのです!! 彼らは外から見れば、それは、それは従順で、素直な人間と見えますが、それで果たして良かったのか、それとも自立しそこなってしまったのか、なかには大きな問題を内側に持っている人もいるのです。
私は子育てのプロなど存在しないのではないかと思っています。少なくも私の未熟な子育てを受け入れてくれた子供達に、私は両手をあわせて感謝もしますし、詫びも入れたいような思いがしています。今回イタリアで生活している長女に、旅行中、連れ合いが「あなたどうしてイタリアにまで来て料理をしたいと思ったの?」とたずねたのです。長女はともかく英語が好きで、英語を使う世界に行くものとばかり思っていたからです。しかし彼女は当然の流れのように、料理の世界を選んだのです。彼女は言いました。
「わたしが幼いとき、お母さんが様々な人々に、ケーキや料理を作って食べさせた。わたしも食べた。それが本当においしかったし、嬉しかった。料理が人を喜ばせた。だからわたしもそういう仕事がしたかった。」
娘は牧師職ではなく、イタリア料理の料理人を選んだのです。
母親が料理をするのは日常の、まさにルーティーン(日常)そのもののことです。娘は日本人の影などどこにも見えない小さな町やミラノなどの大都会で、当然のように何度か挫折しかけ、そのたびに私に泣きながら電話をしても来ました。でも苦節15年。いつの間にか今の美しいトラットリアで自信に満ちて仕事が出来ています。その原点はかつて彼女の母親が教会や隣人のため嬉々と料理をしていたことです。「わたしも料理でみんなを幸せにしたい。」という一念でした。 親は子育てで、あせることがあるかもしれない。いや、必ずあります。でも・・・子供は親が大切にしているものを、しっかりとつかんでくれるものです。必ずそうです。
だから、親としては、むしろ、自分にとって何が大切なのかを掴み取って、そこに誠実に生きる。幼な子の混じりけのない目は、それをきちんとみていてくれるのではないか。そんなことを母と娘の会話の中に、私はしっかりと感じたのです。親が望んだとおりでなくてもいい。でも自分が臨んだとおりの人生が生きられれば、人生は輝きます。
(2013年07月21日 週報より)