ねずみ一匹?
誰にとってもでしょうが、年末年始は、何かと事が多いのです。この年末に私は二泊三日のプチ入院生活を経験しました。11月の定期検診で「そろそろ前立腺の検査をしてみましょうか。」という主治医の言葉から事はスタートしたのです。結論から行けば『疑惑が晴れた』のです。日頃からおつき合いのある家庭医を持つことの大切さを再認識させられました。(しかし、内心、断っておけばよかったと思う気持ちもないわけではないのですが・・・)医学的見地からは、前立腺ガンマーカーのPSA数値というのが、わずかに高かったのです。平常値が4.0まで。わたしのは5.1。「いちおう南部地域病院ですすんだ検査をしてみましょう。御心配ですね。」といわれた。自分自身、知識も、自覚もないのですから、狐につままれたような思いで、わけも分からず南部地域病院で最初の検査を受けたのです。
担当医は泌尿器科のT先生。やさしい、丁寧なお医者様。第1回目は触診。(その内容は省略します。)その結果、担当医から、少し前立腺が肥大しており、心配があるので、次回にMRIとエコー検査が必要になりました。と告げられたのです。生まれて始めてのMRI検査。結果は「ガン状の影が右と左に見つかりました。直腸から管を入れて、前立腺に向けて注射をするとともに、組織を取り出して、生体検査をする必要があります。別に痛みがあるわけではありません。簡単な検査です。二泊三日の入院となります。」
クリスマスの集会が終わった翌日、数冊の本を持って、ちょっとしたお泊まり気分で入院に臨んだのでした。その日南部地域病院に入院した人々は5人。あとで分かったことはその全員が全て前立腺ガンの疑いをかけられた検査入院の群れでした。5人。みな、男性。わたしくらいか、それ以上の、いわゆる高齢者。イロもなく、花もなし。
生体検査は準備も含めて40分ほど。医師の言われるように、「なんと言うこともなかった。」という人もいれば、わたしのように医カメラも、腸カメラも経験のない人間には、それなりに負担が大きかった。結果が判明するのは1月13日(金)。結果次第ではその後の生活は思惑とは、相当違ってくる可能性がありました。T先生のお答えは「ガンはありませんでした。」というものでした。そんなこと最初から分かっているのに、という思いもあったけれど、お墨付きは一応は有り難い。とはいえ先生の説明では、「生体検査の針と針の中間にガンが潜んでいることもあるので、今後も注意して検診に心掛けてください。・・・」これでガンでも発見されたら、入院だの、手術だので、時間も費用も海外旅行並みに(?)なったかもしれない。苦痛をかかえ、自由に行動することは難しくなっただろう。もちろんその覚悟もしないではなかったけれど。
人のどんな経験も、基本的には無駄と言うものはありません。健康には今までも気をつけないわけではなかったけれど、今後はもう少し違った健康指向をせざるをえないでしょう。わたしは典型的な夜型人間で、人が寝静まった夜の静けさに起きて、音楽を聞いたり、読書することは、わたしには生きる喜びの一部。
と、ところが、病院では、消灯が10時!パジャマを着ているけれど、わたしは病気で入院したのではないのです。看護婦さんに頼んで、12時まで大目に見てもらった。それ以外は、快適なプチ入院生活。苦痛もなく、病室の仲間とも親しくなり、食事も工夫されていて悪くありません。今回、健康診断の結果から、わたしは最先端の医療の恩恵にあずかることができました。そして、結果は、シロでした。これがわたしにとっての2006年の出発でした。結果はねずみ一匹だったけれど、検査は身体にこたえたようでした。その後、突如としてあらわれた経験したこともないほどのきびしい腰痛。背骨のいくつかの椎間板がかなりすり減っているとのことでした。自由に「立つ」「座る」「歩く」ことが、こんなに嬉しいことなのかを実感しました。
検査結果は一応シロでした。でも、このシロは、いつでもクロに裏返されうるだろうし、クロはまたシロにもなりうるだろうということです。いずれシロでありクロであっても、それは神が与えた人生を生きる証しであることに違いありません。加齢も病気も、ひとつの新しい未経験ゾーンへの旅立ちでもあるでしょう。未知である今年というときも、神がともに歩んでくださるでしょう。それこそが病気であるなしにかかわらず、励ましにみちたことではないでしょうか。
(2006年01月22日 週報より)