リベリア内戦を終わらせた女性たちのノーベル平和賞
上記のタイトルは岩波書店から刊行されている雑誌に伝えられている記事のタイトルで、富永智津子さん(元宮城学院大学教授)という方が書いています。私は心動かされたのです。かいつまんで紹介させていただくことにします。
ノーベル平和賞といえば時折(エッ)と思わせる人が受賞したりしますが、今年度授賞した3人の女性-リベリア大統領エレン・サーリーフ、もうひとりのリベリア人リーマ・ボウイー、そしてイエメンのタワックル・カルマンという方々だそうです。授賞理由は「平和構築活動に女性が安全に、そして全面的に参加できるよう、非暴力で活動に取り組んだこと」とのことです。私が驚いたのは、そのひとりリーマ・ボウイーなる女性についてです。この方は1972年生まれと紹介されています。わが家の長女は1974年12月生まれですから、わが子とさほど年齢差のない女性がきびしい現実に立ち向かって、社会を大きく変えるきっかけをつくった事実に驚かせられたのです。そも、〔リベリア〕というアフリカの国をご存知だろうか。
リベリアは北緯5度、つまり赤道直下に近い西アフリカにある国です。国土は日本の三分の一、人口400万人。大西洋に面している国です。特徴的なのはこの国の成立にあります。独立したのは1847年。じつはアメリカ合衆国で解放された奴隷であった人々が、この地に建国した国なのです。国名とされた Liberia ― 自由はそこから取られているとのことです。けれどアメリカから帰国した人々がリーダーシップをとって国が指導されては来ましたが、当然、そこには、以前から居住していた人々もいるわけで、帰国組と、先住民との間には抜きがたい対立があったのです。
建国から130年、1980年にクーデターが起こり、やがて1989年-1996年、1999年-2003年の2回の内戦が勃発したのでした。凄惨な殺戮と対立と抗争が十数年間繰り返されてきたのです。結果20万人の人々が犠牲になり、数十万人の人々が難民となって周辺国に逃げ出した人も多くいました。やがて2005年に現在の女性大統領サーリーフが就任し、女性たちによる平和構築活動が結実して今があります。その前は悲惨な内戦でした。内戦は隣国のシエラレオネと同時進行で、反政府勢力はいずれも悪名高いブラック・ダイヤモンドを資金源として長期化したのです。
そうした社会状況の中で一時ガーナに避難していた リーマ・ボウイーが立ち上がります。リーマはシオラレオネ内戦(1991-2002)から逃れてきた難民の女性に会います。
『その人々は反乱兵から乳房を切り取られるという言語道断の傷を肉体と精神に負いながら力強く生きようとしていた。』
惨状は根源には男性による暴力があり、それが国家を暴力国家に仕立てていると学ぶのです。
女性こそ平和構築のために男性と共に重要な役割を果たすことができる。2002年に、キリスト者であるリーマ・ボウイーは教会で平和を呼びかけるのです。そこで偶然居合わせたイスラーム教徒の女性警官アサトゥが趣旨に賛成し、ここにキリスト教徒とイスラーム教徒の連帯が可能になったとのことです。やがて2003年反政府勢力が首都モンロビア侵攻を計画し激しい戦闘が繰り返されます。男達が戦闘にのめりこんでゆく中に女性たちは戦闘の停止を夫たちに求めます。
終わりのない内戦と流血の中にあったリベリア政府軍、反乱軍はやがて和平会議のテーブルに着き<大統領の国外追放><国連平和維持軍のモンロビア駐留><暫定政府による民主選挙の実施>を決定し、やがて2005年にリーマたちの支援するサーリーフがアフリカ初の女性大統領として選出されたのです。
アフリカでは国家間の戦争に代わって内戦や局地紛争が頻発し、少年少女が民兵として狩出され、内戦は市街地を巻き込み、女性や子ども達が無慈悲な犠牲者となるのです。追い込まれ犠牲を強いられ、やむにやまれぬところまで押し込まれて、この人々は連帯して政治のあり方に異議を唱えたのです。少なくもここリベリアにおいては女性の力と連帯が、平和をもたらしたのです。これはアフリカの一つの点にしか過ぎない出来事かもしれませんが、この人々にノーベル平和賞が授けられました。
日本では国会でも、会社の株主総会でも、教団総会でも、女性は驚くほど少数です。このあたりが変わらなければ、真に平和な将来は描けないのではないだろうか。
(2011年12月04日 週報より)