「夜と霧」(ヴィクトール・フランクル)を再読して

先日、本屋さんに立ち寄って、ヴィクトール・フランクルの書いた名著「夜と霧」を、NHKテレビ「100分de名著」という番組で3月に取り上げるとかで、テキストが売られていました。早速テキストを購入し、また本棚から「夜と霧」を出して再読しました。

フランクルは1905年ウイーン生まれ、ウイーン大学教授で、ウイーン市立病院で神経科部長を務めていたユダヤ系オーストリア人です。やがて1938年、ヒトラーが突如オーストリア併合を行ったことでオーストリアはナチ支配下におかれます。フランクルは職を解かれます。1941年に結婚をはたしますが、わずか9か月後、両親、妻と共にテレージエンシュタット強制収容所に収監させられます。父親はここで餓死し、1944年10月(私が生まれた時!)フランクルは妻とともに悪名高いアウシュヴィッツ収容所に送られます。妻はここで亡くなり、フランクルはたった3日でバイエルンにあるダハウ収容所の支所テュルクハイム収容所に移送され1945年4月にアメリカ軍に解放されたのです。

この「夜と霧」という書物は不思議な本です。この世に地獄があるとすればヒロシマ、ナガサキと共に、アウシュヴィッツ―つまりナチが作り上げた強制収容所だといえます。3つの強制収容所を転々とさせられながら、フランクルは生きながらえるのです。囚人たちはおびただしい死体に囲まれ、汚物まみれになりながら無感動、無感覚、無関心で心を武装します。フランクルは大半の人々が死に追いやられる中、生き残ります。それはたまたま、たび重なる幸運にめぐまれたからです。しかしフランクルが言うには、収容所では単に肉体的に頑健な人や、世渡りのうまい人が長生きするとは言えず、その恐ろしい世界にあって疲れ、飢え、凍(こご)える日常の中で、祈りや礼拝に心寄せる人々のほうが、状況に押しつぶされない強さを持っていた、と述べます。(夜と霧122-123頁)

ナチ強制収容所は、絶滅収容所とも呼ばれます。文字通り人間の肉体ばかりか、精神まで打ち砕くところです。しかし人という存在はそうしたところでも他者を思いやり美しい世界を夢見る心を忘れさせないのです。
フランクルがアウシュヴィッツからバイエルンに移送された時のことです。『囚人運搬車の鉄格子の覗き窓から、丁度頂きが夕焼けに輝いているザルツブルクの山々を仰いでいるわれわれのうっとり輝いている顔を誰かが見たとしたら、その人はそれが、いわばすでにその生涯をかたづけられてしまった人間の顔とは、けっして信じ得なかったであろう。』(同書127頁)

さらにフランクルはすでに別々にされていた妻を思い起こします。その面影に語りかけ、微笑み返すのです。『彼女の眼差しは、今や上りつつある太陽よりも、もっと私を照らすのであった。その時私の身をふるわし、私を貫いた考えは、多くの思想家が英知の極みとしてその生涯から生み出し、多くの詩人がそれについてうたったあの真理を、生まれて初めてつくづくと味わったということである。すなわち愛は、結局人間の実存が高く翔けのぼり得る最後のもので、最高のものであるという真理であった。…愛による、そして愛の中の被造物の救い―これである。たとえもはやこの地上に何も残っていなくても、人間は―瞬間でもあれ―愛する人間の像に心の底深く身を捧げることによって、浄福になり得るのだということが私には判ったのである。』

この本は次の言葉で閉じられます。

『解放され、家に帰った人々のすべてこれらの体験は「かくも悩んだ後には、この世界の何ものも・・・神以外には・・・恐れる必要はない」』

(2014年03月23日 週報より)

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