苦悩から歓喜へ
気分が落ち込んでいる時にベートーヴェンを聞くと元気が出ます。厳格でかっちりとしたソナタ形式は、ここちよく、心に安心感を与えます。そして、どの曲にも現われるドン、ドンとラッシュするリズムは聞いていてパワーを奮いたたせます。しかもそれらの曲は、作曲家自身が、作曲家の生命といえる聴覚を徐々に確実に失って行く過程で、やがて完全に音を失うまでの極限の不安に打ち勝ちながら造り上げられた音楽でした。ベートーヴェンは一つの曲を作り上げるのに途方もない時間と苦労をかけたのだそうです。その点モーツアルトは家族と談笑しながら、恐るべきスピードで作曲ができた。まさにモーツアルトが天才中の天才だったところと、際立った違いだったと言われています。作曲の原稿もモーツアルトはほとんど書き直しもミスもなく、ベートーヴェンのそれは何度も何度も書き直し、訂正のあとが認められるそうです。その上、ロマン・ロランによればベートーベンは常に恋愛の衝動に動かされていたといわれます。きびしい階級社会のなかで、プライドの高い貴族の娘たちを相手にしながら、ベートーヴェンは必死に対等に生きてようと努力した。結果として生涯失恋を続けた人だった。そうした彼の心に共鳴した女性のいたことも知られています。
人間である以上様々な労苦に見舞われることは避けがたいことです。二重苦、三重苦をこえて四苦八苦と言う言葉があるくらいです。ベートーヴェンは遺書を書くところまで追い込まれたことがありましたが、自殺はしなかった。困難はあったけれど目の前に起こってきたことに対し、最終的に絶望はしなかった。「運命はかく戸をたたく」と説明される五番の交響曲は、暗く、暗く始まるけれど、終楽章は、勝利と凱旋の明るさをもって、長大な締めくくり(コーダ)で終わる。ロマン・ロランはその生涯を評して「ベートーヴェンの生涯」に副題をつけ、<苦悩から、歓喜へ>と書きました。
課せられたくらい運命の中から何をもって、肯定的な作品が生まれたのだろう。<苦悩>から<歓喜>へ逆転させたものは何か。ベートーヴェンには神への信仰があった。母親は早逝し、呑んだくれの父親に殴られながら育つと言う環境。von(貴族)ではなく、ただのvan(強いて言えばオランダ系)一字違いのもたらす不平等。聴覚を失う、音楽家としての悲劇。けれど、それらを逆転してあまりある、音楽の調和性。神を見上げる所から来る、暗い運命さえひっくり返して尚、健全に生きる道のあることを教えられます。ベートーヴェンはあの環境で、あの身体だったからベートーヴェンで有り得た。
困難、問題は、神がそれを通して何かをなされる機会でもあります。
(2005年05月01日 週報より)